回具(ゑぐ)=

 

 

 

 面高・沢瀉(おもだか)・たくしゃ)

                       似た水草・河骨水葵

面高 オモダカ科の多年草、水田や池沼に自生。
 夏に、白色3弁の花をつける。 食用のクワイは、この変種。スーパー雑草おもだか

pp生け花             

 

 

 

 

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別名  「花慈茹(はなぐわい)」、
「慈茹(くわい)」
葉と長い葉柄が、農具の「鍬(くわ)」に似ている、
「芋(いも)」のように根が食べられることから 「くわいも」と呼ばれ、
「くわい」になった。
 
 
「あしびきの
山澤(やまさは)回具(ゑぐ)を
採(つ)みに行かむ
  日だにも逢(あ)はせ
                  母は責(せ)むとも」
                          回具(ゑぐ)= 面高
万葉集  作者不詳
 

王朝時代の車や武具に 
印として 又、好んで家紋に多数使用現代では、浴衣等に描かれる美しい水草

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沢潟 おもだか
 

 

 

 

 

 

 


http://www.bigweb.jp/00005/goods.asp?B01=8  西山商会  鍬

 

田んぼの畦道を7月末から8月始めに歩くと 稲より高かう40pほど

見事な緑で葉っぱが大きく花が白 はるか遠くからでもこの存在は

認めることが出来る。

農家にとっては、稲の邪魔者雑草であることには間違いがない。

庭で育てるときは、大きめのタライや鉢へ。

蚊が発生しないよう鉢を泥で埋め尽くすか金魚を飼うことで解消できる。

茎は以外と折れやすく茶花として使うときは、丁寧に扱わねばならない。

塊茎は漢方で沢瀉(たくしゃ)といい、利尿薬にする。脂質代謝やコレステロール

血症の改善に効果のある漢方薬で、その場合は「沢潟」と書いて『たくしゃ』とよむ。
名前も 武士が好んで家紋したなどと今回初めて知る。

この葉っぱが大きなのが(約1メートルにもなる)、正月食べる「クワイ」だ。

クワイ慈姑)別名(田草燕尾草クワエ

「芽が出る」縁起の良い食物。ぼそぼそして苦みがあり好き嫌いがあると思う。

クワイの仲間は秋になると、根の先端にクワイができる。

(4月)に掘り出して植えつける。

http://www.e-amanoya.co.jp/_index_img/headline.gif http://www.e-amanoya.co.jp/_index_img/headline.gif

市川猿之助の屋号、澤瀉屋(おもだかや)は家紋もこのオモダカ。

江戸時代、市川猿之助が荒事の「草擦引」で曽我五郎を演じた大評判をとった。

この時、衣装に逆沢瀉の鎧をつけていたので「沢瀉屋」を名乗るようになった

毛利氏の紋として知られているが、元就が川岸で戦勝した時、

この花にトンボがとまっていて、その縁起の良さを記念した事に由来する。

毛利氏の紋は「三つ星に吉文字」

正親町天皇から賜わったという「十六葉菊」、足利将軍から賜った「五七桐」や、

元就が戦場で沢潟にとまったトンボを見て大勝を得たことにちなんだ「沢潟」も用いている。

他に「丸に矢筈」「鶴丸」「八本矢車」など、全部数えると10種近くにもなる。
 これらの紋は天皇の御前に伺候するときには「五七桐」を、元就の墓参には「沢潟」をというように。

それぞれの場によって使い分けていた。

 

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毛利氏の紋www2.harimaya.com/sengoku/mouri/html/mo_kamon.html - 3k -

 

平安時代から文様化され、鎌倉時代には武家の好む文様として
鎧などの武具に用いられた。
武士がなぜ沢潟の文様を愛用したかというと、沢潟の葉の形が「矢じり」に似

ており、また「楯」のようにも見えるところから、別名『勝ち草』と称して縁

起を担いだものと言われています。
紋章にも好んで用いられた。花はテッシュペーパーのごとく柔らな

可憐な花である。

 

絵画に見る

池田遙邨(いけだ・ようそん)は、1987(昭和62)年に文化勲章を受章した日本画家。

出生当時の本籍地が倉敷市玉島だったことなどから、1980(昭和55)年、

倉敷市は遙邨から489点に及ぶ自作の寄贈を受けた。

倉敷市立美術館は、そのときに寄贈された作品をもとに、1983(昭和58)年113日に開館した。

遙邨の作品は、その後も作家本人や遺族から寄贈を受け、現在では8000点を越える

コレクションになっている。

 

朧月夜の田圃に影を落とすわらぶき屋根の農家。そしてあぜ道を渡る狐一匹。なんとも寂しく、

そして暖かい田園の夜である。

一輪の面高が、なんとも言えぬ風情だ。

ずはん「おぼろよ」
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


絵画のタイトルが「朧夜」

水田に茅葺きの農家が影を落とし、狐が畦道を渡る田守りの様に、何かの気配に気付き、狐が立ち止まる。

水田に、影を落とす田んぼの水面、今植えたばかりの苗が見える。

おぼろ夜の季語と田植えから左下にアクセントとして描かれている「面高」は、花を付けている。

この面高は、8月始めに咲く水草である。

季語(朧夜)・田植と揃えば、季節は、春 。

5月に、面高は、おかしい。

 

名画は朝日新聞 生命の煌めき 名画を彩る動物たちより

マルバオモダカ(丸葉面高)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


沢瀉威鎧おもだかおどしよろい 兜  多年草の葉っぱの形を図案化した模様の鎧

沢瀉縅(おもだかおどし)と呼ばれる方法でつくられた。

沢瀉(おもだか)は湿地などに生える植物の名前。

朝長(みなもと ともなが)が着用していたといわれているが、平治の合戦で敗走中に雪の中に脱ぎ捨てたとされる。

 

威毛(おどしげ)

(おどし)とは「緒通し」から生じた語といわれています。威し立てた緒が居並ぶ様子が「鳥の羽毛」に似ているところから「威毛(おどしげ)」と呼びます。

1)澤潟威(おもだかおどし)

水草の澤潟に見立てて中央を三角形状に色目を替えた威毛を澤潟威と呼びます。

2)逆澤潟威(さかおもだかおどし)

水草の澤潟に見立てて中央を逆三角形状に色目を替えた威毛を逆澤潟威と呼びます。

 

大山祇神社

794-1304 愛媛県今治市大三島町宮浦3327

 

山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。

源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の指定をうけた

日本の甲冑の約4割がこの神社に集まっている。近代においても日本の初代総理大臣伊藤博文

旧帝国海軍連合艦隊司令長官山本五十六をはじめ、現在でも海上自衛隊海上保安庁の幹部などが参拝している。

 

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