山吹 面影草 十七首あり

 山吹の立ち よそいたる 山清水
   汲みに行かめど 道知らなく 
  巻2.158 高市 皇子 タケチノミコ
  (天智天皇の子)
十市 皇女(トオチノヒメミコ)が急死したときの歌。
黄泉(ヨミ)の国まで彼女を追い求めたいと願う歌。
山吹を十市に見立て、さらに山吹の「黄」 清水の「泉」
で黄泉を暗示した
 花咲て 実はならねども 長き日に
   思ほゆるかも 山吹の花     巻10−1860

  かわず鳴く 神(かむ)なび川に 影見えて
             今か、 咲くらむ  山吹の花    
                     厚見王(あつみのおおきみ)

ほろほろと山吹散るか滝の音  芭蕉。

山吹・八重山吹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やまぶき

「花咲きて実はならねども長き日に思ほゆるかも山吹の花」

(万葉集1860

あるとき、鷹狩の途中でにわか雨に降られた太田 道潅が、一軒の農家に蓑(みの)を
借りようと訪ねたところ、その家の娘は山吹の花一枝を折ってさしだします。
道潅はこの花の意味が解らず憤慨します。
あとになって、『後拾遺和歌集』の兼明親王(かねあきらしんのう)が詠んだ、

  ななへ八重はなはさけども山吹の
       みのひとつだになきぞ悲しき

という歌にまつわる故事で、八重の山吹は実をつけないことから
「みのひとつだになき」= 貸す蓑(みの)すらない貧しさを

意味しているのだと知りる。
このとき道潅は自分をおおいに恥じて、それから学問にいそしみ文武両道に優れた
武将となっていく。

 

これは教科書にものった学業奨励≠フ逸話だが、あにはからんや五百年も前

に著された『後拾遺集』に、これとまったく同じ逸話が載っていて、

まさに逸話作家の盗作である。
 武蔵野の百姓娘が、道灌さえ知らなかった古歌を知っていたということもウソなら

、とかく日本の歴史は美化されすぎ、教訓的であるようである。



川越原人ホームページ 雑記帳より

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/doukan.html

PHP 歴史街道 編集部かわら版より

http://www.php.co.jp/blog/rekishi/2006/04/post.html

 

 

このHPを開いて読むと大変面白い

 

 

ヤマブキ 山吹 バラ科ヤマブキ属 原産:日本、中国。

 

   

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