ショウジョバカマ

ユリ科:山地の湿地に見られる多年草。

高さ20cm程度。

葉は根出葉で倒披針形。春に開花。

名前の由来は、能楽の「猩々(しょうじょう)

の赤頭の毛にたとえている。

 

葉に種が付く

(ユリ科ショウジョバカマ科)

葉が根ぎわに幾重にも生え、

雪の下で越冬する

ときに緋色に染まる 

それを猩々(しょうじょう)の顔のように

赤い袴に

たとえた名

 

よく見ていただくと葉っぱの先に

小さな芽が見えます。
ショウジョバカマはこのように葉の

先が地面にくっついていて、そこから

新しい芽が出るのです。

ですからショウジョバカマは葉っぱの

長さ位の間隔で殖えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 


悲しいが、とってもこころあたたまるコラム

野草が好きな皆さんに、是非、見て頂きたく貼り付けました・

素晴らしい記事ですね。

おまわりさん 本当にご苦労様 ジーンときました

  MARSHALLより

 

[街かど]

マイタウン宮城
   朝日新聞より

小さな花 亡き娘を思う春

 


 

  3年前の春、自宅に二つの植木鉢が届いた。

ユリ科のショウジョバカマとラン科のシュンラン。ともに、小さな花をつけていた。

  柴田町の曳地豊子さん(48)は花を見て胸が詰まった。

「里美がそこにいるようで」

  娘の里美さん(当時20)が男女8人グループから暴行を受けて亡くなったのは、

その2年前の暮れだった。

  花の贈り主は、当時、里美さんの事件を担当した警察官だった。

  里美さんの遺体は、仙台・愛子の山中で、30センチの積雪の下から発見された

警察官は、捜索現場の指揮官だった。「残酷すぎる現場だった」

  雪解けのあとに行われた遺留品の捜索。こみ上げてくる怒りを抑えつつ、

あらためて遺棄現場のくぼ地を調べていると、すぐそばで山野草が花を

つけていることに気付いた。  この日は、

里美さんの誕生日だった。

淡いピンク色と黄色の花が、

力いっぱい何か話しかけてきているように見えた。

  捜索を終えたあと、警察官は6株ほどの野草を

掘って持ち帰り、自宅の庭に植えた。日当たりがよく、

応接間からよく見える場所を選んだ。

  被害者の両親である曳地さんとは、犯人逮捕の

ときなど、節目ごとに連絡を

取ってきた。手紙の中で、野草のことも伝えた。

「春になって花をつけたらお渡ししたい」

  翌春、庭の野草は株を増やした。ショウジョバカマはふわっとした花を

開かせ、シュンランはすっときれいに茎を伸ばした。

  警察官は鉢に移し替え、別の警察官を通じて曳地さんに届けた。

  曳地さんも、遺棄現場には何度か足を運んでいた。

「あんなに暗くて寂しい場所に花が咲いていたなんて」。

すぐにお礼の電話を入れた。

  母親の豊子さんは、特にショウジョバカマが気に入った。

花火のような明るさが、娘のように思えたから。

  でも、野草は手入れが難しい。株分けはうまくいかず、曳地さん方では、

花びらが落ちると、間もなく草も枯れてしまった。

  昨秋、そのことを、久しぶりに警察官から連絡があったときに伝えた。

「また花が咲いたら届けますよ」と返事をもらった。

  警察官の庭の野草は、いま小さな堅いつぼみをつけている。

春、曳地さんは、また、あの小さな花に会えそうだ。

3/22

 

 

マイタウン宮城[街かど]

誕生日に届いた、小さな花


 

警察官が贈ったショウジョウバカマ=柴田町の曳地さん宅で

 まだ肌寒い自宅の庭先で、警察官は地面に植わっている野草「ショウジョウバカマ」を、そっと鉢に移し替えた。

 つぼみは、まだ固かった。家の中の日当たりがいい場所に鉢を置いた。4月11日、その日には花が開くように。

 《3月22日付の本欄で紹介しました柴田町の曳地豊子さん(48)に、11日、警察官からユリ科のショウジョウバカマとラン科のシュンランの鉢植えが届きました》

 朝からよく晴れ、ぽかぽかとした陽気だった。11日は、00年に男女8人から暴行を受けて亡くなった曳地さんの娘の里美さん(当時20)の誕生日。事件さえなければ、25歳を迎えるはずだった。

 警察官は事件当時、遺体遺棄現場の捜索責任者。里美さんが遺棄されていた山中に咲いていた野草を自宅に持ち帰り、大切に育ててきた。3年前に一度、株分けした鉢を両親に贈ったが、まもなく枯れてしまった。

 この日、警察官が再び届けたショウジョウバカマは、鉢の中で4株が葉をいっぱいに広げていた。小さな花が二つ咲き、つぼみも付いていた。

 玄関先ですぐ、豊子さんは「また会えた」と、薄ピンク色をした花に笑顔を近づけた。

 「花が枯れたら地植えをするといい」とアドバイスをした警察官に、豊子さんは「今度は枯らさないようにしないと」。いとおしそうに花を見つめた。

 警察官を見送ったあとの午後3時ごろ、父親の正美さん(49)が「25年前の今ごろ、里美は生まれたなあ」とつぶやいた。

 「里美」という名前は、80年4月11日夜の家族会議で決まった。父親のまさみさんの「さ」と「み」、母親のとよこさんの「と」を合わせて「さとみ」。読み間違えることがないように漢字で「里美」にした。

 豊子さんが思い出した。「里美が高校時代、『里美と書いてリミと呼ぶ名前が良かったな』と冗談を言ったことがあったね」

 思い出が次々とあふれてくる。

 玄関先で正美さんが、静かにたばこに火をつけた。ぼんやりと空を見ながら、言った。

 「里美はきっとどこかで見てるんだろうな」

 

     

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