カキ     木 守 柿 キモリガキ・キマモリガキ

群れ柿
 


柿の実」

 

柿の実を 

ひとり喰(は)みつつ

     涙ながせり

柿の実は 紅くひかりて

 まろく 黙(もだ)せり

柿の実を ひとり喰めるは

   われか

ひとり旅人

収穫柿ふるさとの町

ひそかなる宿

柿の実の 皮をはぎつつ

そのかみの

秋を想いき

 

 

神保 光太郎の「柿の叙情」、

冒頭部分である。

柿の言う名称は、赤い実の

なる木、、すなわち「赤木」

あがき が略されたのであろう。

 

秋そのものという印象が、

柿にはある。

 

上記の詩は、かっての幸せだった秋の日を思い出しながら、ひとり柿を食う

さびしい一人旅の男の心境。

  「四季の言葉」辞典  嶋岡 晨 著  大和出版より 

 

 

なかなか、美しい・忘れてはならない言葉が残っているんですね

一般的には、「木 守 柿 キモリガキ」

俳句等では、「木 守 柿 キマモリガキ」と使われているようです

我が家の6冊の辞典にはこの言葉が出てきません。

自作の茶杓には、この銘が付けてあります。

 

木守柿

 

天への捧げもの

柿は収穫するとき、すべてを

取ってしまわず、木の先端の

方に少しだけ残しておく

風習があります。地方に

よっては、残す数が一つ

だけだったり、数個だったり

するようですが、日本各地に

残る風習のようです。

理由も鳥にあげるため、

来年の豊作を祈るため、

神(自然)に捧げるためなど、様々です。         木守柿はジバング倶楽部12月号より

残された柿が、直接、          

木を守っているわけではないようです。

それでも、鮮やかに熟した柿が、葉もまばらな木の先端で、秋風に吹かれてい

るのを見ると、最後までふんばってその木を守っているように見えます。

鳥への思いやりが、長い目で見れば連鎖で自然を潤すことになるのでしょう。

木守柿を残しながら、人もまた、自然を守ろうとしたのですね。

 

「美人の日本語」  著者 山下 景子  幻冬舎より

 

柿本人麿(かきのもとのひとまろ)とは、柿本(かきのもと)=柿本(いちの

もと)です。柿(かき)=柿(いち)なのです

 

山柿」とは「山の中の柿の意味

「「「

柿 ・ 日本の生活に関係深く        日本経済新聞2005/10/15

奈良時代には柿が食べられいたようであるが、

万葉集、枕草子にはとりあげられ

鈴なり柿ていない。でも万葉集の歌聖の姓は柿本で、

これは屋敷に柿を植えていた家の姓

といえる。また、銘木の黒檀はカキノキ科の

心材である。

 

柿を調べているうち、こんな事まで、

知らないことに気づかされた。

 

また、仙台・県北では、1月14日に

2人そろって、鉈(ナタ)を持参で、

柿の木に思いっきり、刃先を食い

込ませる行事があった。

 

生木責め・ナリキゼメ

(成り木責め)

 

「祭礼と年中行事」

仙台市歴史民族資料館

財団法人 仙台歴史文化事業団

TEL 022-295-3956

館長 結城 慎一

03.1.5  発行より

 

 

柿の木(実のなる木)に、収穫

を約束させる小正月の行事。

ひとりが「成ったか、成ねえが、

成ねえがったら、切っちょ」

(成ったか、成らないか、

成らなかったら切るぞ)

と唱えて、鉈やまさかりで木に

傷を付ける。

もう一人が「成り申す、

成り申す」とお詫びをして

団子の茹で汁を傷にかけてやる。

 

 

(団子の茹で汁)

現在の「ゆ合剤」

切り口の保護

剪定や、接ぎ木、風雪などで

干し柿納屋出来た傷口に塗る塗布すると

水分の流出を防ぎ、雨水の流入を

防ぎ、傷口を保護する。

 

なんと、心優しい気持ちで

生木に、鉈で傷つけ、そこえ保護剤を、

ちゃんと、思いやりで、木を守ってやる。

 

柿の成分は、ビタミンC、ビタミンK、B1、

B2、カロチン、タンニン(渋味の原因)、

飯坂 干し柿ミネラルなどを多く含んでいる、

「柿が赤くなれば、医者が青くなる」という

言葉があるほど、柿の栄養価は高い。

また、「二日酔いには柿」といわれて

いる訳は、ビタミンCとタンニンが

血液中のアルコール分を外へ排出して

くれるからで、豊富なカリウムの

利尿作用のおかげ。

 

お盆お供え「酒の席には、決して柿を出しては行けない」

と、子供の頃より、おふくろが

言ってた言葉が、頭を横切る。

 

また、お盆には、墓参りに欠かせ

ないのが、柿の葉。

是に、洗い米となす キュウリを

細かく刻んで、お皿の代わりに使用して

お供えする。

 

 

お盆飾り付け1はとのおはか
          高松市    尾崎  紀子  

     道端に
     はとのおはか と書いた
     石ころのお墓が立っていた

     ある日
     お墓の周りに
     れんげとクローバを
     いちめんに散らしてあった

     ある日
     パンを小さくちぎって
     柿の葉っぱの上に
     のせてあった

     ある日
     やさしさにふれたくなって
     いり豆を持って
     私は出かけた

 

豆柿
 

 

 

 


豆柿 手の爪ほどの大きさの渋柿

生け花や、茶花に喜ばれる。

 

 

シナノガキ一種で,に毛のないもの。

果実球形で径約1.5センチメートル

熟す黒色となる。未熟果から柿渋をとる。

柿渋血圧降下薬とする。

 

 

 

 

ころ柿作り 甘い思い出 丸森で http://mytown.asahi.com/miyagi/images/top1509.jpeg


  県内有数の柿の産地、丸森町耕野で20日、「ころ柿作り体験ツアー」

があった。

秋も終盤にさしかかり、肌を刺す冷たい風が吹くなか、仙台などからの参加者

約50人が柿渋で指先を黒く染めながら、昔懐かしい特産のころ柿(干し柿)

柿の花作りを楽しんだ。
 
  阿武隈川近くの山間部にある耕野地区は、

朝晩の寒暖の差が大きく、

冷たく乾燥した

蔵王おろしが吹くため干し柿作りに適しているという。
 
  手順は、町内で栽培されている蜂屋柿の皮をむいてひもで結び、

硫黄の煙でいぶして殺菌、

漂白をした後風通しの良い場所に干す。

雨や直射日光に気を付けながら1カ月ほど

寒風にさらすと、渋が抜け甘い干し柿になるという。
 
  柴田町から参加した星より子さん(59)は

「ころ柿は、甘い物がなかった子どもの頃の思い出。

あのころはごちそうで、独特の甘さが記憶に残ってます」。

この日作った約100個は、友人に配るという。

 参加者が作ったころ柿は、ツアーを主催する同町の弘法柿組合が

食べ頃になるまで管理し、参加者に渡すという。ツアーは23、27日も開催。

問い合わせは同柿組合(0224・75・2569)まで。

朝日新聞 宮城県版  05.11.20

 

 

写真花おりおり >

 

カキ平核無

文・湯浅浩史 写真・鈴木庸夫

 

 

 

扁平(へんぺい)で四角ばった品種。

甘柿の富有に似るも、やや小さくて渋い。

店頭には渋を抜いた「甘柿」が並ぶ。名の示すように種子無しで、単為結果のため、

受精しなくても実を結ぶ。

命名は明治42年。原木は新潟県新津で1734年に栽植という。山形の庄内柿、

新潟の八珍、佐渡のおけさ柿も同系。

20051118日付朝日新聞朝刊)



inserted by FC2 system