椿・侘び助 巨勢山の(コセヤマ)つらつら椿 黒侘助(黒わびすけ)は永楽の別名。 暗紅色(黒紅色)の一重で赤黒い花びらの色筒咲きの小〜中輪です。 開花期は3〜4月です。茶花におすすめです。 |
チャドクガは、通常、年に2〜3回発生 毒のある毛は抜けやすく、死骸でも毒を持っている。葉に付着しやすい乳剤タイプ。 人体に強烈な椿の害虫 オルトランは、根から吸収して スミチオンなど霧吹きをするかカルホス乳剤を散布。 |
「侘助の由来は、茶道のワビ(侘)とスキ(好き)の複合語と言われ、また千宗易の下僕の侘助にちなむとも言われます。
閑寂な風趣ですから、大輪で満開の花は似合わない、一重小輪、薄色椿が、ことに好まれました。それらを茶人は侘助とんた。
侘びの心をもって花は軽く生けるのがよい。それが侘び茶の美であり、侘び茶の真髄にかなうものだ。」
シロワビスケ
文・湯浅浩史 写真・永田芳男
椿姫=マルグリット・ゴーティエは白い椿を愛しテーマです。
ワビスケの品種は、ふつう花がピンク。それがシロワビスケは名の通り花が白い。
早咲きで、11月から咲き始め、花期は長く、3月ごろまで観賞できる。
加えて色と形のよい上品な小花で、茶花に好まれる。
京都の修学院離宮の林丘寺に後水尾天皇遺愛と伝わる古木があり、
育成されたのは江戸初期か。
(2006年01月26日付朝日新聞朝刊)
白玉
名とイメージの一致するのは蕾(つぼみ)。
小ぶりの蕾が、丸くて白い。花の咲き始
家内の大島紬
めは開き切らない筒咲きながら雄しべは、
やや展開する。蕾の色や形は加茂本阿弥に似るも、
一回り小さい。
古くから茶花に好まれ、森富夫氏によれば、
白玉椿の名は室町時代、堺の天王寺屋宗達の茶会記に4回出るという。
(2006年03月05日付朝日新聞朝刊
香りツバキ
花は姿、色、香りが三拍子。それが日本産の花木の多くは香りが乏しい。
ツバキも太郎冠者(たろうかじゃ=有楽〈うらく〉)などでほのかな香りが知られていたに
過ぎない。
その育成の一つはヒメサザンカとの交雑。
尾川武雄さんは自生のヤブツバキから伊豆大島で「香紫(こうし)」を、
三宅島で「香御前(かおりごぜん)」を見いだした。
(2006年03月06日付朝日新聞朝刊)
川の上(へ)の つらつら椿
つらつらに 見れども 飽かず
巨勢(こぜ)の春野は
春日蔵首老・カスガノクラビトノオユ
川のほとりに咲いているつらつら(ツラナリ)椿よ
ああ つらつら見ても飽きることがないなぁ
このすばらしい巨勢山(こぜ)の春野は
MARSHALLと椿大木 福島・霊山・愛姫メゴヒメ街道にて、南側のみ花を咲かせている
羽州街道は、奥州街道を桑折宿(福島県桑折町)で分かれて出羽国(秋田と山形)へと向かう街道である。
小坂峠を経て、上戸沢、下戸沢(以上、白石市)、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原(以上、七ヶ宿町)の7つの宿場を通って楢下宿(山形県上山市)に至る区間は、特に「七ヶ宿街道」とも呼ばれてきた。
天正7(1579)年の冬、米沢の伊達政宗のもとに三春城主田村氏の娘の愛姫が小坂峠を越えて嫁いだことから、
「愛姫街道」とも呼ばれる。
江戸時代には、出羽の13の大名の参勤交代や出羽三山詣などの旅行者、一般の物資輸送で賑わったが、
明治20年に白石・米沢間に馬車の通れる道が完成すると、旅人の姿は峠道からしだいに消えていった。
「桑折・藤田で女郎かうよりも小坂峠を馬で越せ」との言い伝えが関宿に残るほどの険しい峠である。
06.5.5
都婆伎、都婆吉 又、海石榴、海石榴市「つばいち」
とも、漢字の音、訓のどちらで読んでも“つばき”とするのは困難。
これは万葉仮名ではなく、ツバキを意味する漢名、
すなわち唐代のツバキに対する呼称と考えねばならない。
足病之 山海石榴開 八峯越 鹿待君之 伊波比嬬可聞
あしひきの山つばき咲く
八つ峰(お)越え鹿(しし)待つ
君が齋ひ妻(いわひづま)
巻六 一二六二 詠人不詳
奥山之 八峯乃海石榴 都婆良可尓
今日者久良佐祢 大夫之徒
奥山の八峯(やつを)の
つばきつばらかに今日は暮らさね
丈夫(ますらを)の伴(とも)
桐野秋豊さんの「茶席の花 椿と侘助」(1986年、文化出版局)、「色分け花図鑑 椿」(2005年、学習研究社)によると−。
数奇屋(別名・数奇屋侘助)、昭和侘助(別名・初雁)とも侘助の仲間ですが、数奇屋は花びらの先が中折れするキキョウ咲きなので、
昭和侘助と形が全く違います。
また、咲き方は数奇屋が猪口咲き、昭和侘助がラッパ咲きです。
あと、昭和侘助の葉は先端が鋭くとがり、中折れする特徴がある。
昭和侘助は江戸中期の「本草花蒔絵」(1739年)に「数奇屋」の名で説明があり、
明治初期の「椿伊呂波名寄色附」(1877年)に「初雁」の名で登場する。
一方、現在の数奇屋が「数奇屋」の名で登場するのは、明治初期の伊藤小右衛門らの「椿花集」(1879年)以降です。
江戸時代には別の名前で呼ばれていた。
巻十九 四一五二 大伴家持
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/on-tsubaki.htm 卜半(ボクハン)椿
生薬・薬用植物のページより 別名・月光、唐子咲で他の椿と芯の部分が白である。
帝京大学薬学部
http://aquiya.skr.jp/index.html