フーテンのMARSHALLと寅さん再会

寅さん 映画「男はつらいよ」 柴又 05.3.20

 

なんと、暇人であろうか。 お彼岸墓参りのついでに、柴又に、寅さん見学。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 


停車場を乗り継ぎ、やと、目指す柴又駅へ。

駅を降りると、なんと寅さんが、馴染みの服装とトランクを片手に、見送りのさくらを

振り返るごとく、実物大の銅像がお迎えしてくれる。

ここで、記念写真を撮る見物客で、大変なにぎわいであった。

何といっても人気が高いのは、古き時代の面影を感じさせる参道ではないだろうか。

柴又駅前には、寅さんの像が建ち、参道脇には、映画監督 山田洋次氏の自筆で

「私生れも育ちも葛飾柴又です 姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発っします。

という碑まで建てた葛飾柴又」と記された碑があります

 

 

 


映画で馴染みの参道は

土産物屋で、しばし足を

止めての冷やかし

懐かしい品々がそろう

至る所にくさ団子やサン

 

 

 

 

 

 

 


本当に、うまそうである

あんこがいっぱい詰め込まれ

ほしいけど、一人では食いきれない

 

つばを飲み込みつつ、後にする

 

草だんご
 

 

 

 

 

 

 


昔懐かしい陳列品

 

 

特にこのガラスの丸い入れ物に

品種の違う、おせんべいが

所狭しと、整列されて

子供の頃の「駄菓子や」を

思い出す

 

 

 

 

 

 


なんと、人目につく

派手なディスプレイ

店からはみ出て、通路に

陳列されている

マネキンに

「金運」「開運」

寅巻

いい名前ですね

腹巻きを寅巻にして

売るとはさすが。

 

店主は80歳くらいのおばあちゃんであった。

ほとんど、下着専門店

店内は女性用で、さすが、足を踏み入れるのにためらう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ありました、ありました。

老舗 「とらや」

映画、第1作から4作まで、ここがモデルになったそうである。

 

 

 

 


商店街の突き当たりが

目指す葛飾柴又帝釈天

 

 

 

 

 

 

柴又帝釈天(題経寺)は、東京の東部、千葉県との境を流れる江戸川の傍らに、

いまから300年程前の寛永年間に開創されたと伝わる。

日蓮宗、経栄山と号し、千葉県中山法華経寺の門末。

帝釈堂拝殿を始めとする建築物の内外や渡り廊下を飾るたくさんの木彫群、そして瑞龍

の松や日本庭園など、見どころの多い寺。門前町は、題経寺まで、約200mほど続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


映画では、ほとんど紹介されていないが

びっくりするほどの、国宝級の

お寺であった。

所狭しの、彫刻が至る所に並び

目を見張る寺である。

 

木彫りをやっている

MARSHALLには、なかなか

動けないほど、じっくり眺めてきた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


庭園もすばらしい。

なぜ、映画で、また観光コースで

この庭園と彫刻が宣伝されていないのか

不思議でしょうがない。

 

 

 

 

帝釈堂の内外には、数多くの木彫がほどこされているが、特に帝釈堂内陣の外側にある、

十枚の胴羽目彫刻は仏教経典の中でも最も有名な「法華経」の説話を選び出して彫刻し

たものである。
 この法華経説話彫刻は、当山第十六世観明院日済上人の発願になるもので、篤信者鈴

木源次朗氏の丹精協力を得て、大正末期より昭和九年に至る十数年の歳月を費して完成

したものである。

意外と近年にできあがった物なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この手の込みよう 浮き彫りにしてある すごい。 

明かり取りの窓であるが、木彫りを習っていて、難しい彫刻刀の使い方で、

せっかく、山堀に彫り上げても、手が滑り、力の入れすぎで、その山を切ってしまうのが

常である。

 

 

 

 

葛飾柴又寅さん記念館の風景
 

 

 

 

 


寅さん記念館

 

ここは、心和む、いやしの記念館

懐かしく、一作ずつ思い出される

 

第一作目

マドンナが「光本幸子」さん

今は、無き勤務するビルの横に、築地芸子組合専門劇場 新橋演舞場があった

日比谷線地下鉄 東銀座駅下車高速のすぐ隣にその建物があった

現在は日産自動車の本社ビル

その何階かに、演舞場があるが、いまは「新派」という劇団はあるのだろうか。

座長クラスがずらりと並び、その中で、なんといってもトップが水谷八重子さんであろう。

そこによく、MARSHALLの勤めているホテルに市川翠扇スイセンさん 大矢市次郎

さん 京塚マサコサン もちろん 水谷さんに混じって、若手のマドンナ「光本幸子さん」

が気さくに来て食事や打ち合わせ、合間に話しかけてくれたのが思い出される。

「今度、喜劇にでるんですよ」と光本さんが言っていたのが、この寅さん第一作だったの

です。

いまは、浜町にある老舗劇場「明治座」の奥様で収まり、時々ステージにたっているよう

だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


館内は、寅さんで埋め尽くされ、なぜかホットするというか、気持ちが落ち着き

おいちゃん、オバちゃん、さくら、ひろしさん、たこさん(印刷会社の社長)に囲まれる

と、まるで自分が「とらや」の一員になったつもりで、日常生活をしている錯覚になって

しまう。

寅さんがよく、上り下りする階段が、ある時は足をすべらせ、ずっこけたり

下で食事をしている家族に悪たれをついて、すねてあがってゆく姿が思い出される

撮影場よりそのまま持ってきて茶の間と一緒に移動

自由にその中に出入りできる心使いがまたにくい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


実際の撮影に使用したセットを大船撮影所から移設。

「くるまや」の撮影風景を再現。お茶の間ではこのセットで撮影した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


土間から、各席から台所からこの客間を見ることが出来る。

自由にこのセットの中をのぞくのではなく歩くことが出来るのだ

さりげなくい、寅さんの、だぼシャツが鴨居へ、ハンガーにぶら下がっている

テーブルの上には新聞、湯飲み、灰皿と映画と同じ物が並んでいた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


記念館の横がこの土手であった。

歌で有名な「矢切の渡し」

それに使っていた渡し船が、堤防の上で分離帯として、街路樹の代わりに草花が植えられ

植木鉢として、余生を送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


柴又を後にして、東京でただ一つ残っている、都電にのって、物好きにも

おばぁちゃんの原宿

巣鴨とげぬき地蔵へと足を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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