田棚  傾斜地にある稲作地のこと。

 

傾斜がきつい土地で、耕作単位が狭い田が規則的に集積し、それらが一望の下にある場合は千枚田(せんまいだ)とも呼ばれる。

英語では、rice terracesと表現される。

 

「四ヶ村の棚田」しかむらのたなだ 肘折り温泉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本の棚田百選にも選ばれた「四ヶ村の棚田」、

神秘的な渓谷美を見せる

 

作神宿る「葉山」の麓「四ヶ村」には、後世に残したい「日本の原風景」とも

言えるたたずまい。四季折々に見せるその風景に、心和む。

「四ヶ村」とは「豊牧とよまき」

「滝の沢」「沼の台」「平林ひらばやし」の四集落を総称する呼び名。

その歴史は古く、鎌倉時代初期(1204年)の起源

(四ヶ村郷土史)。

現在は、ボランテアで、この棚田を守り、夏と冬に一面にろうそくを灯し 

蛍火として、観光客をいやしてくれる。

田んぼには 水が不可欠 一番上から下に、順番に水を満たして行くのだが、

高齢化が進み、歯抜けの状態になって

下まで、水を送るのが難しい、全国の棚田である。

其れを、地域のものが中心で、ボランテアで、田んぼを守る

精神は見上げたものである。

一年を通じて、心をいやしてくれる棚田を、守って、

観光客を楽しませてほしいものだ。

出来れば、温泉がでなくとも、暖かいその様なボランテア精神の持ち主達と 

語り合う場所民宿がほしい  料理は、山の中で、刺身や魚なんかいらない

地域の家庭料理で充分

うまい、麦飯に、とろろにキノコのみそ汁 自家製お新香で十分である。

 

 

 

 

 

 

 


棚田保存の活動に参加して、連休の一日、遠くに海を眺める房総半島の

山あいで田植えをした。地元農家のお膳立(ぜんだ)てで、

段をなす田の一枚一枚に、鏡のような水が張られている。

 〈田一枚植えて立去る柳かな〉

名高い芭蕉の句からは、慣れた身ごなしで、すいすい苗を植える姿が浮かぶ。

だが日ごろ農作業と縁遠い弱卒は、そうはいかない。

腰が定まらず右往左往し、田の中は足跡だらけに。

植え付けにも難渋し、進まないことおびただしい。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古く、田植えは女性の仕事とされ、従事する人を早乙女と呼んだ。

力のいる田打ちや代掻(しろか)きが男の仕事だった。

〈生きかはり死にかはりして打つ田かな 鬼城〉

土に生かされ、土を頼みに命をつなぐ。

往時の労働の厳しさを思うと、粛然とさせられる。

 粒粒皆辛苦(りふりふかいしんく)

すなはち一つぶの一つぶの米のなかのかなしさ〉

と詠んだのは山形県出身の斎藤茂吉である。

戦前は、小作制度や飢饉(ききん)が農家を痛めつけた。

収穫しても自分たちの食べる分はない。

白い米粒が農民の「辛苦とかなしさ」を象徴した時代は長く続いた。

 戦時中は妙な米の炊き方があった。

一昼夜水に漬け、膨張しきったところで火にかける。

食糧不足を補うために政府が広めた。

名付けて「国策炊き」。量は増えても、しょせん水膨れだから、

腹はすぐに減ったそうだ。

 さまざまな時を経て、幸か不幸か、素人の米作りが

歓迎される時代である。労働の厳しさにも、一粒のかなしさにも

ほど遠いけれど、参加者の数だけ、

米に関心を持つ人は増えたことだろう。

 

 

 

 


朝日新聞 天声人語   20070506日(日曜日)付

07.4.30 丹後に行く

神戸より丹後までの一般道にて偶然田棚を見つける。

坂道を、20分ほど登って行くと 開けた田んぼの世界

ここが棚田 何と15.6名の集団が、自家用車で集合 ミーテング中

農作業になれぬ姿 一番昇ったところで クロ塗りを撮影

注.畦(畔)と書いて(くろ)と読む

 

 

 

 

 

 

 


大江町は鬼伝説をテーマ「酒呑童子の里」にちなんで全国の鬼瓦を展示

 

そこに、ひとりの百姓が 水の張った田んぼを 耕している。

写真を一枚撮影許可を貰う。

そのまま話し込むも 彼は、立派な公務員

其れも、奈良の市役所とか、

定年間近で1千萬で、棚田と農家の家を ここに買い

退職後はここに夫婦で移り住む予定。

連休を利用して、田植えに来ていたのだ。生まれは、大阪の京橋

百姓にあこがれ、子供も独立 老後をここで生活。

何と優雅な人生であろう。

田んぼを見ない日々は、地元の農家の年寄りと契約 田んぼを管理 手入れをして貰うらしい。

下の集団は、ひとりのオーナーが 棚田を買い占め その田んぼを 貸し農園として、

奈良や京都あたりから募って、本日 田植えに来ているという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


丹波路の最難所、大江山の峠越えの麓に毛原集落。

毛原集落は奈良〜平安〜鎌倉にいたる中世の時代に形成された集落であると

考えられ、大江山越えの裏街道としての元普甲道(もとふこうみち)があり、

その途中にある集落として宮津(天橋立)までの旅をする人に親しまれていた。
 昔の旅人はこの難所をどんな思いで行き交っていたのでしょうか。

今は、もう幻の峠となってしまった旧普甲峠の麓で、昔ながらの棚田を守り、

自然があふれ、心暖かい人々が住む魅力あふれる集落です。

棚田では「棚田農業体験ツアー」「棚田オーナー制度」を実施しており、

春の田植えや秋の収穫祭など都市農村交流を進めている。

福知山市大江町は鬼伝説をテーマにした個性あるまちづくりを進めており、

棚田から車で5分程度のところには「酒呑童子の里」として日本の鬼の交流

博物館。

http://www12.ocn.ne.jp/~tanada/owner.htm 毛原の棚田

京都府農林水産部耕地課〒602−8570京都市上京区下立売通新町西入藪ノ内町 より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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