古典七夕

 

 

 安の川 い向かい立ちて 年の恋

日長き子らが 妻間(ツマド)ひの夜ぞ

安の川→天上の高天原(タカマノハラ)にあると信じられていた

安の川を挟んで向かい立って一年を忍んでこいつづけてきた二人がようやく結ばれるこの夜だ

http://marshall.gozaru.jp/DSCN1825111.JPG

http://marshall.gozaru.jp/DSCN1830111.JPG   古典七夕 下にぶら下がっている細い棒は

                                      お線香と和歌を詠んだ紙を吹き流しに見立てた。

乞巧奠(きっこうてん)・ 七夕(しちせき)(たなばた)
 
   天の川 梶の音聞こゆ
    彦星と棚機(タナバタ)つ乙(メ)と

今夜逢うふらしも 
       天漢 梶音聞 孫星 与織女

今夕相霜 (原文)万葉集  


人麻呂歌集 巻102029

 天の川に櫓を漕ぐ音が聞こえる

ああ彦星と棚機っ女とが

今宵逢うらしいな

★ 天漢→漢水→(揚子江の一支流)

 

★  牛を牽(ヒ)いて農耕する若者(牽牛)  糸作り(いとづくり)

 

蚕の繭から生糸になるまでの製糸工程の概略は、

繭を煮て繭糸を引き出し、数本引き揃えて

生糸とします。蚕の繭を煮て、繭糸を引き出し、

数本引き揃えて生糸(原糸と呼ぶ)になるが、

この段階では、織糸として用いることが出来ず、

原糸に撚り<ヨリ>がかけられ、さらに、糸染めが

施されて初めて織糸として使える様になる。

 

 

 

染織工芸藍学舎 笠原 博司  写真 yoshihiro ito

宮城県加美郡加美町字西町78
★ 機織(ハタオリ)の乙女(織女)

★  漢水を隔てた恋
★ 天の川→天の漢水 
★ 棚機(タナバタ)→織機の一種 神の衣を織る

 七夕に関する忘れ去れた言葉・メールや、手紙等に利用したいですネ。(季語)

★ 星の恋 星の契り 庭の竪琴  虹の橋  鵲の橋(カササギ) 織り姫 
糸 車 朝 露  梶の葉   天の川  牽 牛       逢 瀬 
  星の雫 星の光 星祭り    銀 河  星月夜 袖の露 機織(はたおり)  
 
 本来は夜空の爽やかな初秋の行事、明治以降多くの地域で愚かに月日を陽暦に
移してしまったため、梅雨の空を見上げることになる。中国では、鳳車(ホウシャ)
龍蓋(リュウガイ)空飛ぶ車が日本では船に変ってしまう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




古代の農耕儀礼の1つに,国王が天帝に雨を祈るものがあり,王妃は祭服を 川辺で
織ることになっていた(川とは天の川)。これから織女星ができた。
この御衣は、選ばれた乙女「棚機女」(たなばたつめ)たちが、沼や川や海の清らか
なほとりに,特設した機屋(はたや)の「棚機」(たなばた)で、紙衣にて、身を清め、
心をこめて織り上げた。
 「たなばた」の語は、この「棚機女」、「棚機」から生じたものである。
現在、葉竹にさげる紙衣(かみごろも)も、女子の針仕事の上達を願う意味だけでなく、
神に捧げる御衣の意味をもつもの。
 出羽三山の湯殿山も、紙衣で(人形 ヒトガタ)、身体を清め、小川に流す。

 殷の時代から人々は鉄のすきを牛にひかせて畠を耕した。牛は農耕上重要な 生物で,
この重要な牽牛が黄道28宿の1つとなり,それが牛宿だという。
旧暦の7月7日頃は、丁度稲が開花期に入るとともに、風水害や病虫害の襲いかかって
くる季節。
秋の豊作を祈るには、唯一筋に神々にすがる以外にてだてはなかった。
田の神は、万能の祖霊の変化したものであると信じていた。7日の早朝、人々は
禊(みそぎ)をして心身を清め、祖霊を祭るお盆の行事に入った。
これが、農耕文化とともに始まった七夕の起原。
 日を定めて帰って来る祖霊(神)に、海山の幸(さち)を供え、新しく織った御衣を
捧げた。
 織姫(こと座・ベガ)・彦星(わし座・アルタイル)に願い事をかなえて貰うよう
お祈りする。
 
 万葉集には、この歌とよく似た、天の川を彦星が船で渡っている..という歌が百首近く
 入っていいる。
  なお、七夕は万葉集は棚機という字があてられている.

      織女の五百機立てて織る布の秋さり衣誰れか取り見む ・ 読み人知らず

 織女が多くの機をたてて織った布でできた、秋用の衣を、いったいだれが(彦星)見る
 のだろう.  ★江戸時代に歌集「五百機集」がある.

 

左右 からいと草 ↓

 

DSCN6652
 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

香合
 昔、中国の漢水のほとりに、織女(しょくじょ)という機織(はたおり)の上手な
 美女が住んでいた。この娘は王の父君の自慢の娘で、父王は、この娘に農耕に熱心な
 牽牛という青年が婿に迎えてやりました。
 それからというもの、織女はあれほど好き好んでいた技芸をおろそかにし、肝心の
 機織も怠けるようになる。
 父王が注意をしてみても一向に効き目がなく改めようとせず、ついに見るに見かねた
 父王が牽牛を織女から引き離し、漢水の対岸に追放してしまいまった。
 織女は毎日泣き続けるばかりで、それではあまりにも可愛そうなので、年に一度、
 旧暦7月7日の夕だけ、逢いに来ることを許した。
 牽牛は漢水を渡って織女に逢いにきた。その時、漢水(天の川)へ鵲(かささぎ)
 が群がり集まってきて、(別の話・鵲が羽根を広げて)牽牛の橋渡しをやったという。
 この地上のロマンスが、天空高く流れる天川(あまのがわ。銀河)のほとりの、
 琴座のべガ〔Vega。織女座〕と、鷲座のアルタイル〔Altair。牽牛座〕に移して
 考えられるようになった。
  中国では、二つの星が視覚的に最も

接近する陰暦7月7日の夜、この二星を

祀って、技芸の上達を願う乞巧奠

(きっこうてん)という行事が行われるように

なった。
 「七夕」日本語読み「シチセキ」という

外来の中国語を、「たなばた」と日本語読み
 していることが、いかに古くから「たなばた」

の本体があったかを明示しています。
 「たなばた」という日本古来の民俗信仰を

母体としながら、その中から盆行事の部分
 が抽出され、更に中国の技芸上達を願う

蓮水滴乞巧奠(きっこうてん)という星祭の行事が
  合体し、ミックスされたのです。
  わが国では、毎年2回、年の始めと7月の満月になる日、すなわち旧暦の正月と
 7月の15日は、祖霊を祀る最高潮の日とされていた。正月の七草の日と、7月7日
 とは15日の祖霊の大祭の準備に入る斉日(いわいび)。
 乞巧奠が、中国からわが国に伝来したのは、奈良時代の頃。
 もちろん、最初は宮廷行事で清涼殿(せいりょうでん)の東庭で行なわれ、梶の葉に、
 金の針を7本、五色の糸をより合わせて通し、琴を立てかけ、天皇が「二星会合」を
 ご覧になり、公卿に宴を賜わったのが始めの形であると伝えられる。
 それが、次第に、日本古来の七夕信仰に加味され、複合されて行く。
 室町時代に入ると、宮中の催しが少し簡略化され、娯楽面が大きく押し出され、
 七夕にちなんだ遊びごとが盛んになる。

  七夕祭は江戸時代に入って五節句の

七夕飾り一つとなる、竹飾りも飾られるようになり、

始めは五色の願いの糸を垂らすだけ

だったのが、元禄頃から、短冊をさげ、
 吹流しをつけるようになった。
 将軍家で行われた七夕は、城中に

二本の笹のついた竹を立て、

五色の糸を張りわたし、
 色紙、短冊、梶の葉に自作の歌や

古歌を書いてつるす。
  また、庭前には一対の祭壇が設けられ、

それに9本の灯りを立て、二脚の卓上に
 野菜、魚類、果実を供え、その前に楽器、

香華、蓮の葉を置き、笹の葉のついた竹に
 五色の糸をかた。
  その下に蒔絵(まきえ)の盤に水をなみなみと

注ぎ、梶の葉を浮かべ、それに
 天の二つの星をうつして祈る。この時、笹竹に

かけられる五色の糸は「願いの糸」と
 呼ばれて、この糸をかけて二つの星に祈ると

、その願い事がかなうといわれてた。
  正月の門松と同じく、神様の各家庭に降りて

くる時の目印。短冊は四手

七夕糸車
献茶上野
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


米国 カーペットの上の七夕茶会

セット全体
 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

仙台七夕まつり 「七つ道具」
 
★紙衣(かみごろも)              
米国 暖炉を床の間とする
 
 棚機女(たなばたつめ)が織り、神に捧げたという衣で、七夕竹の一番上に吊るす
 習わしがある。
 裁縫の腕が上がるよう願いながら縫われた。

★千羽鶴
 
 家の長老の年の数だけ折り、延命長寿を願う。
 折り方を習う娘たちは折り紙を通じ、教わる心、人に教える心を学う。

★短冊

 早朝、硯にカラトリ(里いもの葉)の葉にたまった夜露を集めて、墨汁で、学問や書、
 手習いの上達を願う。

★投網

 昔から重要なたんぱく源としての魚介の元、海の豊漁を祈願。

★屑篭(くずかご)

 七つの飾り物をつくり終えた裁ちくず、紙くずを集めて屑かごの中に入れる。
 ものを粗末にしないで、清潔と倹約の心を育てる。

★巾着(きんちゃく)

 巾着は、金銭を入れて腰に下げる。
 富貴を願いながら、節約、貯蓄の心を養う。無駄遣いを戒める。

★吹き流し
 
 織姫の織り糸を象徴し、飾り付けの主役となる。

 

 

サッカーのJリーグ「ベガルタ仙台」というチーム名が織姫の星である琴座のベガと、

牽牛の星である鷲座のアルタイルから名づけられたことでもうかがえる。

 

糸車7,D:\★写真\七夕と大井ラーメン\tanabata.jpg,D:\★写真\七夕と大井ラーメン\lk.jpg,D:\★写真\七夕と大井ラーメン\tanabata1.jpg
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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