大地震の中の東北新幹線?

4才の孫がことのほか新幹線が大好き 

最近は ドクターイエローに目が向き始めた。

中国で新幹線の事故

次の日には 事故車両を調査もせず土中に埋める無神経さ

ネットで世界中から避難書き込み、あわてて車両を集め出す。

仙台駅一つ手前に広瀬川

そこに長いこと寂しそうに新幹線が止まったまま そばを通る車中より早く復帰を望む人は皆同じ気持ちで大きな車体を眺めたことだろう。

孫を連れ河川敷を新幹線の下をくぐり じっくり見物

天井何で新幹線が止まっているのの?」

「故障したの?」

「お客さんはどこから逃げたの?」

「新幹線、かわいそうね」

地震と新幹線矢継ぎ早の質問に答えに詰まる。

 

 

 

 

 

広瀬川に停車中のマックス              仙台駅新幹線ホーム

                                        天井むき出しのままのスタート

東北大地震  東北新幹線50日で全線復旧

そのとき新幹線は、

大地震でも東北新幹線で新幹線が脱線しなかった理由

 

・新幹線 揺れ9秒前にブレーキ(NHKニュース/45 1920)

新幹線が停止するまで90秒〜120秒必要

今回の地震で、東北新幹線は地震の揺れをいち早く検知するシステムが

作動して、最初の揺れの9秒前、最も大きい揺れが起きる1分10秒前に非常ブレーキを

かけて減速を始めていたことが分かる。

JR東日本は、この効果もあって新幹線が脱線を免れたとみて、データの詳しい解析を進めている。
地震発生当時、東北新幹線は27本の列車が乗客を乗せて走っていたが、いずれも脱線せず停止。

JR東日本は、東北新幹線の沿線のほかに、太平洋沿岸にも岩手県の宮古や

宮城県の牡鹿半島などに9つの地震計を設置し、揺れをいち早く検知し

列車を減速させる「早期地震検知システム」を備えている。

今回は、東北新幹線の線路からおよそ50キロ離れた牡鹿半島の地震計が、

午後2時47分3秒に運転中止の基準となる「120ガル」という地震の加速度を捉えた。

このため、システムが自動的に架線を停電させ、走行中の新幹線は一斉に

非常ブレーキをかけ減速を始めた。

このうち、線路沿いの地震計が最も大きな揺れを観測した仙台駅と、

1つ北の古川駅の間には「はやて27号」と「やまびこ61号」が走っていたが、

JR東日本がデータを解析したところ、これらの列車が非常ブレーキを

かけた9秒後から12秒後に最初の揺れが始まる。

そして1分10秒後に最も強い揺れが起きた。

JR東日本は強い揺れの前に減速を始めていたこともあって、

新幹線が脱線を免れた。http://zawaja.mine.nu/users/zawaja-blog/archives/000356.html

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崩れ落ちた煉瓦 仙台駅正面とハヤブサのがんばろう日本

◎疾走こそが新幹線本来の姿。大震災で緊急停止し、仙台市太白区長町付近の高架上でずっと風雨にさらされていた無人のMaxやまびこは、寂しそうだった

▼JR東北新幹線福島―仙台間が25日運転を再開、仙台と東京がつながった。

仙台駅3階プラットホームに、独特の心せかされるような発車メロディーが戻ってきた

 ▼1982年に大宮―盛岡間で部分開業した後、上野、東京駅に乗り入れ、盛岡―八戸間開通を経て昨年12月に新青森まで伸びた。

ことし3月5日には国内最速の時速300キロを誇る「はやぶさ」がデビューした

▼今は山中 今は浜で始まる文部省唱歌『汽車』の3番の歌い出しは 廻(まわ)り灯籠の画(え)のように…。

汽車から新幹線へと時は流れた。車窓からの眺めは、歌が作られた明治末期とは比較にならない早回しである

 ▼速度が上がりダイヤが充実すると、「1泊だった出張が日帰りになった」とぼやくビジネスマンもいた。

旅の情緒をうんぬんする向きもあろうが、いざ止まってみると、その力とありがたさを実感した

▼運転再開初日は停電トラブルに見舞われたが、29日には仙台―一ノ関が開通、東京―新青森全線が再びつながる。

レールは長く険しいが、それぞれが自分の持ち場でベストを尽くそう。復興の灯籠よ、もっともっと早く回れ。

河北抄  20110426日火曜日

 

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保線点検名取市                         チケット販売機

 おおらかでゆったりしている性格を大陸的などと言う。友人として付き合う分にはいいが、それが人命に関わる仕事をする人なら…。

大陸的とは、いいかげんで緻密さに欠けることでもある

▼中国の高速列車事故を見ると、これでは危なくて旅行にも行けまい。

「一つ輸入すれば二つ目はコピーし、三つ目はもう輸出する」などと揶揄(やゆ)される国だ。

拙速な鉄道建設を優先し、安全は二の次だったか

 ▼ならば日本の新幹線はどうだろう。

2004年の新潟県中越地震では上越新幹線が脱線し、安全神話の崩壊だと騒がれている。

しかしあれは過去の失敗に学んだ実は成功例なのだという

▼阪神大震災と宮城県連続地震を受けて、JRは高架橋の安全基準を何度か厳しくし、橋脚の補強を地道に進めていた。

上越新幹線の事故現場も橋脚は補強済みで、転覆や落下などの重大事故を防いだ

 ▼事故の原因には不注意や誤判断だけでなく計画自体の失敗、組織運営の不良などがあるといわれる。

安全に対する取り組みは、長期にわたる絶え間ない努力を要しよう

▼「安全」について原発事故の後では日本は胸を張れないが、こと新幹線に関しては別だ。

中国は新幹線を模倣した高速鉄道で国際特許を取ろうとしているが、特許以前にまねをすべきは新幹線の安全思想ではないか。

河北新報・河北春秋  20110726日火曜日

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ステッカー                  踏切ど真ん中緊急停車の貨物を乗り越える親子

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常磐線 坂元駅集落一軒もなし

途中で流された線路と線路側に傾くホーム

上り階段
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


駅舎もなし残されたものはホームとこの連絡橋のみ

 

 

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