★ 伊達政宗と香木 「柴舟」

 

香人 伊達政宗公は寛永3(1626)年7月24日 京都三条の仙台屋敷で

関白 近衛 信尋公 を主賓に、鳥丸 中納言等 総勢十三名を迎え香筵を開いている

その記録が「貞山公治家記録」に記載されている。

名香所持の香人 政宗公 後水尾天皇 勅銘 チョクメイによる

一木四銘香 に 「初音」 「白菊」 「藤袴」 「柴舟」がある。

同一の香木 伽羅を4ツに分木して、それぞれの銘を付した天下に名高い

名香がそれである。

 

「初音」 = 小堀 遠江守政一所持

 

  「白菊」

天皇家。細川三斉 所持

「藤袴」

 

伊達陸奥守政宗所持

 

政宗公は「柴舟」の他にも幾多の名香を所持していた。

なお、「柴舟」名香柴舟の銘は、

 

世の中の 憂きを身につむ

柴舟や 焚かぬさきより

こがれ行くらむ

 

という御証歌に夜と伝えられている。

 

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名香「柴舟」の由来

 

伊達忠宗宛  寛永三年(1626)極月朔日

 

追って申し候。

其元にて(ソコモト)約束申し候伽羅、遺はし申し候。

かやうのは稀にて(マレ)候。

心よはくむざと人に遺はしまじく候。

名は柴舟と付け申し候。

兼ね(カ)平のうたいに、うきを身に積む柴舟のたかぬさききより

こがるらん。

たかぬさきより匂ふと云ふ心にて候。

よびごゑはよくなく候へども。

恐々謹言。

尚、申し候。此方は昨今雪にて候。

其方いかが候や。

上様御鷹野の御沙汰これなく候や。

爰元(ココモト)は白雁までにて候。

菱喰(ヒシクイ)少々見候。

真雁は一切これなく候。

一日に一羽二羽の躰に候。

山鷹に一両日以前出で、若兄鷹(ワカセウ)ども三つ四つ、

皆々能くとりかい候て満足申し候。□□□□

 

極月朔日    政宗 (花押)

 

松越前守殿

 

政宗が茶道と共に香道にも親しんでいた

香会は茶会と共に当時の大名やや公家とのつきあいに欠くことの

出来ない遊芸であったから、たびたび開かれている。

大名にとって香道は必須の教養といっても良く、又名香を所持することは

自慢の一つであった。

伊達政宗も名香の所持者として知られている。

中でも有名なのが「柴舟」である。

これは政宗が寛永3年9月上洛中に細川越中守忠利より

高価で譲り受けた伽羅(沈香)である。

香木は普通一木一銘を原則とするが、この伽羅は分割され他家

では「白菊」「蘭」「初音」などと呼ばれた。

ちなみに「白菊」は細川家、「蘭」は禁中(後水尾天皇)の命名

とされるが、「初音」は細川家、「白菊」は禁中との説もある。

このように名香にはそれぞれの香銘が附された。

さて、提出の手紙。

政宗が細川家から買い求めた伽羅を息子の伊達忠宗に分け

与えたときのもの。

この時政宗は仙台に、忠宗は江戸にいた。

「其元にて約束申し候伽羅」とあるから、

京都からの帰途江戸に立ち寄った際、政宗は忠宗に伽羅の分与を約束して

いたのであろう。

近頃これほどの香は稀であるから、「心よはくむざと」(惜しげなく)

他人に譲っては成らない、と注意している。

 

人に乞われると断りきれない忠宗の人のよさを政宗は良く

知っていたのだろう。

それはともあれ、この手紙で面白いのは香銘の由来が明らかに

されていることである。

政宗は「柴舟」という銘を、謡曲「兼平」の中の

「うきを身に積む柴舟のたかぬさきよりこがるらん」

(憂きを身に積む柴舟や、焚かぬ前よりこがるらん)

から採った

と述べている。その心は、焚かぬ前から匂うという意味。

つまり、それほど香りが強い香木だ、ということである。

「よびごゑはよくなく候へども」と言っているから、「柴舟」という

香銘自体は政宗も今ひとつ満足できないところがあったのだろう。

 

ところで香銘は普通古歌などから採る場合が多いとされるが、

名だたる香銘でその由来が判明しているものは必ずしも多くはないようだ。

「柴舟」についても、従来から「世の中の憂きをみにつむ柴舟や

たかきさきよりこがれ行くらん」の古歌から採ったと推定されてきたが、

この手紙によって政宗は謡曲「兼平」かた命名したことが明らかとなった。

命名者本人が典拠と命名の意図をかたっているのだから、

大変貴重な資料といえる。

謡曲を愛した政宗ならではの名付け方といえよう。

 

「柴舟」は政宗にとって秘蔵する香木の中でも、最も自慢の香木であった。

忠宗に対して気安く他人に分け与えること禁じたことも、

それは表に現れている。

しかし、身内や限られた友人には贈与したようだ。

 

長男の宇和島藩主伊達秀宗もその一人。秀宗に対しても、やはり、

「今程か様の香はあるまじく候」と自慢している

(年末詳月三日 伊達秀宗宛書状 宇和島伊達文化保存所蔵)。

又、寛永十二年正月には将軍徳川家康にも献上している。

さすが政宗、如在ない。

繰り返し家光からは直筆の礼状が届けられた(伊達家文書)。

 

ところで、この手紙の後半、追伸の部分は鷹野に関する話題。

上様(将軍)から鷹野のお誘いがないか、と忠宗に尋ねている。

「こちらは昨今雪。鷹野も白雁ばかりで菱喰が少々、真雁は全く捕れない。

それも一日

一羽二羽といった程度。一両日以前、若兄鷹(ワカショウ→若い雄の鷹)

二,三羽を連れて山鷹に出かけたが、それぞれ獲物があり満足であった。」

と近況を知らせ、大好きな鷹狩りの話題で手紙を締めくくっている。

 

伊達政宗の手紙  佐藤 憲一   新潮社版

新潮選書 佐藤様より MARSHALLに謹呈される。

1995年7月26日(水)

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