伽羅伊達騒動・鶴千代・(伊達綱村) 花クルス 十字架 幼児名葉亀千代。 「伊達綱村茶会記」を書いた。 『伊達綱村茶会記』に収録されているなかの、七月十九日の茶会。 場所は仙台城二の丸の茶室。 香合は青貝でデザインされた唐物を使用 花入の名は“荒磯(あらいそ) 茶入の銘は“さざなみ”、 他にも染付けや青磁のものを使い、 この綱村は、戦国武将《伊達政宗》の嫡孫 (ちゃくそん→家を継ぐべき孫)で、 あの有名な伊達騒動・鶴千代・(伊達綱村)の際に、わずか二歳で伊達六十余 万石を継ぐこととなり、その上保守派と改革派との 争いにまきこまれ、毒殺されそうになった人物。 享保4年 61才で病死。「伽羅千代萩」(めいぼくせんだいはぎ)に登場する亀千代(後の綱村)の 乳母政岡と、生母三沢初子と混同しています。実は榴岡にある孝勝寺の「政岡の墓」は、 二代藩主忠宗夫人振姫(考勝院殿)と亀千代の生母三沢初子(浄眼院殿)の御廟所 大年寺跡(伊達家墓所)
四代綱村以降の歴代藩主の墓所、伊達家第2の聖域
伊達家の墓所としては経ヶ峯(瑞鳳殿、感仙殿、善応殿、妙雲界廟)が有名四代綱村以降
(九代宗周、十一代斉義夫妻を除く)の歴代藩主の墓はこの大年寺跡にある。
室町時代の応永年間(1394〜1428)、この地には粟野大膳大夫の居城・茂ヶ崎城が置かれてあった。
四代藩主綱村の治世になった元禄9年、この茂ヶ崎の地において綱村は寺院造営を行い、黄檗宗両足山大年寺として
開基。以後、歴代藩主の墓所と定められ、宝華林廟、無尽灯廟(ともに非公開)がそれぞれ墓所となっている。
明治維新直後の廃仏毀釈に伴い、伊達家は墓の祭祀を仏式から神式に改める。
大年寺は衰退し、建物は廃墟と化して取り壊され、惣門が唯一の遺構となる。
この惣門は享保初年(1716)頃の建築と推測され、年々の老朽化により
昭和60年から61年にかけて創建時の姿に修復。
綱村の遺言により御霊屋は建立されず 墓所そのものは一般公開されておらず、これは綱村の遺命、
「先規に従い毎世廟を建てなば後世子孫何を以て保たん、我死せば墓石を建て、
瓦葺の屋根を覆うまでにすべし」に由来。
綱村以降の藩主も同様に御霊屋は建てられず、葬法そのものも簡素化されている。
廟には立ち入り禁止? 然し、落ち葉の季節は、掃除もまま成らず、荒れ放題になっている。
散歩のついでに、入り口だけでも落ち葉の清掃を心がけている自分だ。
大年寺殿肯山全堤大居士 市太白区門前町 大年寺に葬る
春は、隠れた、桜の名所 枝垂れ桜が見事である 増田喜多(政岡) (1539〜?) 伊達政宗の乳母、鬼庭良直の娘 政宗の母、義姫に対しても一歩も引かなかったという逸話がある 仏教にも深く傾倒してしきりに社寺を造営した。 亀岡八幡 榴岡釈迦堂 善応寺 塩竃神社 大年次が有名である。 注)烈婦政岡:四代藩主綱村の生母三澤氏初子と この人をモデルにしていると 推察されている。 朝の散歩には、うってつけの場所で、1週間に1度はこの小高い山に 登る。仙台市は、まるで、手入れせず、廃棄処分場となって、自動車 まで捨ててある。 此処を整備して、是非、観光コースにしてほしいと毎回思う。 すぐ隣では、青年が焼身自殺までする寂しい、うっそうと茂った、 人が寄りつかない場所となっている。 此処に、茂庭城があり、見下ろす仙台市街、遙かに見える蔵王連邦、 太平洋、眺めは最高である。 数年前までは大年寺があり、いつの間にか取り除かれて、空き地と なってしまった。 貴重なものはどこに行ったのだろうか なんと瓦を埋めて、駐車場にしているところを目にした。その瓦が、 家紋入れの伊達家の瓦 散歩に出るたびに拾い集めて、自宅に保存。 其れが木彫りで茶道に使用する「結界」「花入れ」等に変身して 昔をしのんでいる。
花押(かおう)(はなおし)朱書(しゅがき)・堤 焼 (現・伊達泰宗殿様とMARSHALL 三引き紋瓦 右は完成品 茶道具・結界作成) 最近06.5月現在 あまりの廃棄処分が多いため、困り当てて、整備、公園となったが、予算の関係か 設計がずさんで、何の楽しみを見いだせない、もの寂しい公園となった。 近場の死人の朝の散歩道となり、新公園は、誰一人通り過ぎる者はいない。 今までの、あれ放題から見れば、まだ綱村が浮かばれる。 絶対、此処は、観光コースに入れるべきである。 歌舞伎であれだけ知れ渡った「伊達騒動」の墓である。
(伊達家の家紋の一つ 五七の桐 花入れ作成) 堤 焼 今戸焼の陶工上村万右衛門を招き楽焼の茶器を焼かせたが始まりとされている。 開窯地の杉山の名を冠して杉山焼とか仙台焼とか呼ばれた。 「堤人形」で知られる土人形も、上村万右衛門の創始と伝えれれている。 万右衛門は正徳5年(1715)に没したが、その孫伝右衛門や、その指導を受けた 佐藤九平治、三河の陶工菅原善左衛門親子、佐沼の陶工源左衛門らによって続いた。 寛政(1800)頃以後は窯元も増えて、堤町は焼き物の町として栄えた。 伊達藩の御用窯として栄えた。 江戸時代の末期、庄子義忠が、江戸の名工三浦乾也から「乾」の字をもらって、 乾馬窯を興した。 初代乾馬である源七郎義忠は、文政5年(1822)2月、仙台藩士(庄子荘司) 源左衛門章忠の長男として生まれた。 弘化元年(1844)、22歳の時に安代縫殿之介の門人となり、作陶の技術を習った。 義忠は釉薬の研究にも熱心で、白釉の原土である甘砂も発見した。 最も充実した作品を製作したのは万延元年(1860)頃から 慶応2年(1866)くらいまでで、乾山風や三島風の伝統を受け継ぐ仙台古来の焼き物。 義忠の弟の祐蔵も陶業に従事し、天神像などの土人形作りで名手と言われた。 副業として冬仕事に土人形「おひなっこ」→お雛様 を作成。 現在は土人形を中心に作り、注文後2,3年がかかる。 特徴: 伝製品の酒用の大壷は、白釉の流しかけがほとんど底まで流れた豪快な作品。 しっとりとした味わいの黒釉の茶碗や褐色釉の油壷などがいる。 黒釉や褐釉の茶器が代表的。白釉の流しかけもある。 白い粉引に赤の色合いが見事な井戸形粉引窯変茶碗や、辰砂など新しい作品も焼かれている。 堤焼きは仙台の堤町以東杉山台(台の原)に産する陶器のこと、別名杉山焼。伝わって |
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花押(かおう)(はなおし)朱書 (しゅがき) 書判(かきはん)とも呼ばれる。 自筆のサインが草書体になり、さらに絵模様になったものが花押である。 一生に一種類の花押を使うとは限らず数種類を持った人が多い。 中世には判・判形ともいった。 それがさらに文様化・図案化して花押となった。 【種類】 ★ 草書体―そのまま実名をくずしたもの。 平安中期以降に公家間で使用。 ★ 二合体―実名の偏・旁(つくり)・冠などを 合成してつくったもの。平安末期より公家・武家間で使用 ★ 一字体―ある一字(自分の名から一字, または他の好む一字)を選び図案化したもの。 室町時代に公家・武家間で使用 ★ 別用体―文字を離れ別の形を利用したもの。 戦国時代の武将が使用。 江戸時代の武家間で使用。 茶碗、薄茶器、茶杓等に判を押したり、墨や朱漆等で花押や署名を書いたもの 造形意匠を愛けて作られた織部焼には、十宇のクルス文、篦彫りの十字文が茶碗・ 鉢に施されていることは衆知のことである。 キリスト教伝播の初期においては、教会内に茶室を設けて来訪者に茶の湯を接待するなど、 写真の抹茶茶碗は、米俵(蓋→米の出し入れをする口と底)の中心に十字架文が明確に描かれている。 慶長18年(1613)厳しいキリシタン禁教令発布により、礼拝の対象物である聖母像、 転宗したとうまく偽り、ひそかに隠れキリシタンとして潜伏し、 仮託として偽装信仰対象物を考案し キリシタン燈籠、異仏の大黒天、 弁財天、慈母観音、石仏地蔵、丸鏡、珠数、根付、香炉、火入、壺など 陶磁器に描かれた慶長期の十字架文は明瞭で、禁教の厳しさを増した寛永期以降は、 複雑な偽装化の花 隠れキリシタンの信仰心をくつがえすことが、出来なかった歴史の一頁をよく物語っている。 江戸時代の玉山金山と伊達家綱宗の謀略 その一例に、支倉一行の面々が渡欧する 際に要した、造船や準備費と十年余にわたる旅行諸費やローマ法王その他への寄贈金など、 莫大な経費がかかったと云われております。 又、江戸への上納金や仙台堀、新堀の普請などに消費した金額も多大であったと思われます。 これは、藤原三代の栄華と同様に、玉山をはじめとする産金の経済基盤があつたからです。 特に、綱宗の奢りは幕府の嫌忌にふれ世に云う伊達騒動の原因となりました。 この結果、玉山金山の没収がなされるのを恐れて、金山の抗口や諸施設等を、 破壊して廃坑のようにみせかけて、 幕府没収を免れたという秘録も残されています。 この頃は、玉千軒などと呼ばれて、玉山は、大変な賑わいをみせていたようです。 今も残っている「和右エ門坑」「千人坑」「尺八掘坑」砂金採取跡や金山下代の「松坂家」屋敷跡などは、 それをものがたっています。 http://www.geocities.jp/smiso1215/TAMANOYU/index.html より 参考文献 クルス俵形抹茶椀 渡辺 仙美先生 文様 暮らしの美と心 朝日新聞社 日曜版 (関 善内 ・ 伊藤 一 執筆者) 伊達政宗の手紙 佐藤 憲一 新潮社 独眼竜政宗の素顔 逸見 英夫 宝文社 〃 伊達 泰宗 http://hb2.seikyou.ne.jp/home/fm/sendai-dainen.html |
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