現 代 作 家

茶碗の作家を追ってみました。
marshallが好きな茶碗です。

たかはしどうはち 高橋道八 【196-260

元文五年(一七四0)〜文化元年(一八0四)陶工。伊勢亀山藩士の次男に生まれ。

名は高橋周平光重といい、松風亭空中と号す。京に出て陶器の道を選び、粟田口に開窯。

煎茶の盛んに成りつつあった時に活躍する。池大雅、上田秋成、売茶翁ら文人との交際、

自らも趣味人で南画を描き木竹の才もあった。長男は亡くすが、次男光時は、

仁阿弥道八三男光時は尾形周平としての後継者を育てた。

 

にんなみどうはち 仁阿弥道八 【145-218

二代高橋道八。天明二年(1782)〜安政二年(1855)京都の陶工。

代々道八を名乗り仁阿弥は二代にあたる。父松風亭道八や奥田頴川に陶法を

学び次ぎに宝山文蔵にも学んだという。父の家業を継ぎ二十九才にて京都五条坂に開窯(1811)。

仁阿弥道八が一般的通り名である。その職人芸は個性の木米と対比される名工である。

仁和寺の宮から仁を、醍醐三宝院の宮より阿弥(あみ)の号を賜り後仏門に入り仁阿弥を

名乗るのである。歴代中第一人者である。楽焼きを始め、色絵陶器においては野々村仁清,

尾形乾山を継ぐものとして特に琳派の画風を応用した雲錦手が有名であり、手ひねりで人物、

動物の置物、彫塑の名手でもあった。李朝白磁、青華磁器の完全高火度の磁器の製作にも成功する。

その諸作はいずれも新鮮、高貴性を持ち広く時の人を喜ばせた。

四十五才の時紀州偕楽園御庭焼に加わったり、その後高松藩の賛窯、嵯峨角倉家一方堂焼、

西本願寺露山焼などに参画した。天保十三年(1842)伏見に隠居し、道翁と称して桃山窯を開く。

73才この地にて没す。

コヘイジ  三浦 小平二  青白磁

作者の青磁は小平二青磁と呼ばれるほどの特徴を持ち、一見それと知れる粗貫入(ソカンニュウ)に
特徴がある。中国南宋時代所産のものは、宝陶扱いして伝承するが、日本では、戦後より本格的な研究が
始まり、小平二青磁はその上座をしめるほどの出来映えを示している。
佐渡無名異常山窯の家に生まれる。数年来は中近東、西欧の見聞をも作品に反映させた新風を話題に、
時の人でもある。伝統工芸展の中枢をしめる

砧青磁(キヌタセイジ)青白磁のファンが多い

モリヤス  木村  盛康 

盛和 盛伸はあに。三兄弟がそれぞれが優れた作家としてすでに名をあげている。
長兄盛和は越前朝日町へ移窯したので末弟盛康継承、京都山科陶芸の里で長兄譲りの天目釉に執念を
燃やしている。作品はケレン味のない着実性を根幹として、天目釉結晶を老松の表皮に似せ、松樹天目と
して、注目される。日本工芸会を発表の場として正会員

油滴天目   松樹天目 シヨウジュ

コウ    竹中   浩  京焼

彼の作品 白磁は茶の心に深く関連する。 楚白(ソハク)で柔軟な肌の感覚は茶碗にも花器 香合 
水指もよく、取り合わせの一品に加えると効果がある。
若狭に生まれ、近藤悠三の助手を努めた。京焼

セイカ   須田  菁華  九谷焼 

菁華窯は加州山代(ヤマシロ)温泉にある。九谷焼の素地は(キジ)大半はこの地方で焼かれる。
磁器染め付けを主軸として、四代目にあたる。中国明時代、景徳鎮窯産の古染め付けというは、茶人に
珍重され、会席用向附など、さまざまな器が温存され、小堀遠州により招来した祥瑞手の茶陶一式を
移入した。

トシロウ  大樋  年朗  

金沢は古来風雅に栄え茶道裏千家4世仙叟が藩侯の茶頭であったことから、京の職方を引見し、
工芸も指導した。大樋は仙叟の世代以来9代、年朗は10代である。大樋の特徴は飴釉を特徴として、
水指の耳、つまみにエビをデザインするような新鮮な作陶が大樋の美として定着している。
芸大出身 金沢芸大教授

作品は、創意によるリレーフの手法により、鳥を材にしたものは独自に新風をつくりだし飴釉のほか
黒釉は年朗色ともいうべき肌の味である

ゼンゾウ  波多野 善蔵   萩 

萩は茶陶づくりの陶郷である。李敬、李勺光(リシャクコウ)が創窯、毛利侯に直結した窯どころだが、
三百数十年経て、今日ほどの盛況は夢のようである。宗家という、坂家はじめ、板倉、坂田、三輪、新庄
、田原家と家祖以来十数代を経る名門のほか、現代作家の筆頭は波多野善蔵の存在は心強い 
萩茶陶のいぶし銀の良さは目を見張るばかりである

唐津の出身

シンベエ  坂倉 新兵衛  萩

萩の新兵衛家は深川系李勺光に発する名門で、初代新兵衛光政の直流十五代目
花入れと茶碗と香合、すべて新作を登載した。代々は表千家に伝来する古萩第一の名椀武蔵野の美を
追究しておる。作者は、髭のにあう芸大出の好青年 

深川萩は、花盛り

シゲトシ  中里  重利  唐津    

唐津焼きの名門中里家は、父無庵、兄太郎右衛門 弟隆。美濃の幸兵衛、大磯の竹春 備前の啓 一門を
、陶工でかためている。唐津焼きの古典に献身している。彼の桃山唐津追求は日を追ってけい佳境に
はいっている

名門の家に生まれたが後継ぎ十三代の重たさから解放された気安さからかえって幸いしている

ショウヘイ 杉田 祥平  セイカンジヤキ 清閑寺焼

京都の古窯。窯は清閑寺山内町(東山区)あたりにあったもので、後世この地を茶碗坂または茶碗山と
呼んだ。起源は、元和年間1615−24)清閑寺の住僧宗伯が開窯し、続いて仁清が宗伯の門に入り
寛永年間(1624−44)清閑寺領で焼成したもの。銘款に「清」・「清閑寺」の2種類あるが、
「清」の方が時代も古く上手で、「清閑寺」は江戸時代中期以後のものであろう。 
祥平T3年生まれ 京都出身 S18年家業を継ぎ、25年

清閑寺窯開く 32年芸術保存資格者認定

マンジ   井上   萬二  青白磁  白磁

S四年生  平成二年 県無形文化財
日本伝統工芸展文部大臣賞・文化庁お買いあげ
佐賀県西松浦郡有田町  
佐賀県芸術文化功労賞
人間国宝
青白磁  白磁

ヤイチ   楠部  弥弌  志野

S五九年没 
珍しい絵志野。
思う存分に楽しみながら手がけている感じ。
釉がきれた指あとを見ると、左利きかも知れない
文化功労者
文化勲章
志野

ロサンジン 北大路  魯山人

M16年生まれ  S34年没
鎌倉市山崎
京都出身 T9年東京京橋に大雅堂創業

鎌倉に星岡窯開設
S30年 人間国宝辞退

セイメイ  辻   清明    信楽・伊賀    

S2年生まれ 東京出身
多摩丘陵に登窯を築く  自然釉が得意
壺中居  西武美術館  東京国立近代美術館で個展

ヤスオ   玉置  保夫   志野

茶道人口に比例して茶陶需要は、戦後30余年に驚嘆すべき増加を見て、美濃の茶淘郷は質、格こそ
異なるが、桃山以来の盛況を示すごとくである。作者は百を越えるといわれている志野・織部作家の中で
十指に屈し得る良工といえる。技の成熟度からは先輩同僚を凌篭するとは言い切れないが、桃山の名品を
一大目標にして、一作、一窯ごとに訓練の結実は如実である。S16年生まれ 志野焼

イズル   山本   出   備前

作者の若く力強い作風には今後が期待される
山本 淘秀を父にする3兄弟の末弟で陶芸一家の育ち武蔵野美大で清水多嘉示教授に指示の後滞仏2年を
経て父の淘房にもどる。設窯10年の歳月で大きな成果を遂げる。伝統千年の備前淘は無釉、いわば、
素っ裸の勝負だから造形と焼成りに生命を投入するが、作者の造形創造は他の追従をしりぞけ独自に新備
前焼の道を開きつつある。作者の色彩備前にはとかくの批判があろうが一層の研究につとめを望む

キヘイジ  滝口 喜兵爾  

桃山茶淘のふるさと、美濃久久利(ククリ)の雑木場林に囲まれた寒村で、窯を築き作淘を続ける作者の
気風は、仙骨の境を思わせる。東京に生まれ育ち多摩川学園に学んだ作者はその淘郷は力強い精神により
築かれ、また、夫人の力も強い。ひたすら織部執念し、桃山人が起居したこの山林に、いまその姿を追う
。青碧釉(セイヘキユウ)を被る織部淘は、佐々木 正  永江 港史  加藤3兄弟、飛井  隆司と
多士済々であるが、作者の若き織部淘もまた、共感を呼ぶ美といえよう。織部在世の文禄慶長年間初期の
織部淘とでは大きな隔世がある。

シロウ  大谷  司郎  信楽         

日本6古窯の随一とられる信楽は、聖武帝の奈良時代に紫香楽宮造営(シガラキノミヤ)の史実からも
明瞭でが、大谷の窯と住居はその古蹟に隣接する黄の瀬にあり、そこで作淘する。作柄は、おおらかで、
よく古作に倣う。作者の轆轤の技はすでに定評があるところである 信楽淘郷では百にも余る工匠たちが
妍を争うが、戦前に双頭とされていた楽斎、直方は物故、現在その峰を極めるべき作家の出現までには
時を必要としよう

信楽淘工の火色と自然の降灰が醸す窯変の美に独持の味わいがある。

シュウエン 吉田  萩苑  S15  萩

萩市山田西沖田
萩市出身15歳頃より10代三輪休雪に入門し修行。のち天鵬山窯の開設に際し招かれ技術指導。
昭和43年萩市玉江に玉隆山窯を開窯。茶陶中心。

ミツル    伊勢崎 満  S9    備前

父陽山(県重要無形文化財の長男)に学び、弟の淳と備前中世穴窯を復元、焼成に成功
金重淘陽賞。 日本工芸界正会員

キョウスケ  藤原 敬介  S14  備前志野・伊部焼

岡山市田益桃の里     啓の次男 雄の弟 
S40年築窯 日本工芸会東中国支部展山陽新聞社賞、支部長賞、理事長賞、岡山県文化奨励賞、
日本工芸会正会員  備前志野 美濃と備前を融合 瀬戸黒茶碗等。
備前市の炉器。一般には備前焼によって、総称される。伊部でもかなり古くから水瓶、種壺などの雑器を
焼いていたが、戦国時代に至って茶壺、茶碗作りはじめる。後生これを、古備前と呼ぶ、遠州時代以後の
黄褐色の灰釉をかけたいわゆる伊部立ちのものを特に伊部焼きと呼んで区別。茶褐色の照りを出し、
かなり高温で焼成して肌に光沢を持たせる。

ハッセン   高取 八仙  S9     高取り

小石原出身 昭和25年から家業の高取焼きに従事、28年高取焼き13代目継承。
日本伝統展入選ほか、福岡県最優秀技能者県知事表彰、国際芸術文化賞など。
祖父八扇佐七から茶淘を学ぶ 上野、高取古窯研究家美和世之助に師事。渡韓し古窯研究。

ショウセイ  久野  勝生  S16   美濃

朝日陶芸展、東海伝統工芸展、日本伝統工芸展、日本淘芸展、ほか入選入賞。
宮内庁、外務省、京都近代美術館買い上げなど。
美濃淘協会員。日本工芸会正会員。

キョウドウ  平野  教道  S2    萩

愛媛県出身。10代大和松緑に師事、萩を追求、のち当地に搭陶山窯を築き独立。
登り窯による松薪焼成で井戸梅華皮があらわれた茶淘を得意とする。

コウウン    宮川 香雲   竜谷窯 京焼き 13年生
京都出身、宮川香斎家の別家で、先代香斎の甥、六世清水兵衛に師事。
京焼色絵、乾山、仁清、道八風、金襴手が主。



  

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