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西馬音内(にしもない)盆踊(ぼんおど)

贅沢(ぜいたく)禁止令(奢侈禁止令)」

江戸小紋と着物の柄  国指定重要無形民俗文化財

 

 

 

 

 


三大盆踊り

秋田・西馬音内盆踊り

岐阜・群上八幡盆踊り

徳島・阿波踊り

「西馬音内盆踊り」は、豊作祈願や盆供養のために始められた伝統行事。
「藍と端縫い」の盆踊り 横笛、大太鼓、小太鼓、鼓、三味線、鉦という構成、

囃子は「音頭」と「甚句」を奏で 優雅に夏の夜を舞う。

踊り手は、斜に構えて小首をかしげ、雁が羽を広げたように反らせた

手首をかえす独特な振りで、滑らかに踊る。

「秋田音頭」に似た「地口」という語り口調の唄がついた「音頭」、

流れるようなテンポの「とり音頭」、そして「甚句」を踊ってひと区切り、

夜10時半をまわると、3時間以上にわたって赤々と燃え続けたかがり火が

弱まっていき、見物人も減って会場に静かな雰囲気が漂い始める。

対照的に囃子の勢い、踊り手の動きはいっそう熱をおびてフィナーレへとなだれ込む。

 

 

終了時間の午後11時(3日目のみ11時30分)まであと10分というところで、

囃子のテンポが速くなったり遅くなったりと変化する。

これは盆踊りの終わりを告げる合図だが、踊り手は囃子に合わせて懸命に踊る。

「音頭」にくらべて手首を何度も返し、足を優雅に踏み、くるりくるりと

回りながら踊る「甚句」は、よほどの上級者でないとついて踊れないという。

囃子と踊り手が、最後に全力を出しきる場面だ。

締めにもう一度「甚句」を踊り、囃子が止むと、会場の踊り手は櫓の前に

集まる。「踊り足りなのでアンコールをお願い」という意味も込めて、

拍手をし労をねぎらう。踊り手の未練を断ち切るように挨拶が行われ、

盆踊りの一夜が終わる。こうして3日間見物人を酔わせる。

かがり火を囲んで囃子が響き 端縫いと彦三頭巾が舞う。

この端縫いのことの起こりが

 

 


   

   

贅沢禁止令(奢侈禁止令)

これは旗本に江戸常駐を原則として義務付けたことによって旗本が

生産地である知行地から切り離されて消費者に転化してその生活が

苦しくなったという事情が大きく働いていた。

農民の服装に対しては続いて寛永19年(1642)には

絹を用いる事を禁じられ、更に脇百姓の男女ともに布・木綿に制限され、

更に紬が許されたそうでもその長さが制限された。

更に翌年の「土民仕置覚」では紅梅色を用いる事が禁じられている。

農民の衣食住・冠婚葬祭・年中行事・娯楽などをことごとく制限。
破魔弓・菖蒲刀・羽子板・雛人形・キセルなどに金銀・彫り物・象嵌・蒔絵の

使用を禁止した。着物の色も落ち着いた渋い色が多く生まれた。

よく耳にする「四十八茶百鼠」、これは茶色だけでも48種類なんと鼠色は百種

類もの色があったという。

色相に微妙な変化を生みだして楽しむという、まさに日本人ならではの美意識

が育まれた。

 

 

 

 


江戸小紋の「色」を決めるのは彩色される地色(全体に染める色)だけではありません。

ぜいたく禁止令は色ばかりか華美な大きな柄も禁止していたため、江戸時代には無地と見間違うほどの、

気の遠くなるような細かな柄が染められるようになった。

細かさを競いあうように、これでもかと微塵の柄が彫られ染められ、職人さんも意地と執念で細かさと色合いを競い合った。

「ぜいたく禁止」が生み出した最も贅沢な美の世界である。

 

 

 

 

 

 


              地元の小学校校庭 懐かしい飛び石                    せんべいのお土産

 

盆踊りの目的は 何十年頭に描いた「はぬい」の衣装。

現代でいう、パッチワークがこの目で確かめたいと思いである。

この端縫いは贅沢三昧。

 

 

 

 

 

 

 

 


庶民と金持ちの反発 できあがったのが この端縫いの衣装。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新品の反物 数種を 切り刻んで 貼り合わせた代物。

帯は、繻子に緞子 暗闇でも、光り輝く。

商店の旦那衆は、下駄や草履の鼻緒の留め金に金まで使い、

着物の裏地にシルク、

旦那の羽織の裏が超高級な刺繍。

北国は麻と木綿のみ使用で、寒さと生地の丈夫さを保つため「刺し子」が考えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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