http://yamazato-web.hp.infoseek.co.jp/contest.files/dogeza2s.gif万葉集

 

水田畦道
 


一巻一首と万葉集最北端

 

タイトルが気になりだして、図書館で調べ始める。

何のことはない、一番初めは、当たり前のことに、当時の天皇で、

読まれた土地の最北端が、自分の地元、宮城県であった。

しかし、一巻一番は、万葉漢字で書かれているため、又、

時代が違うためか和歌の意味が、さっぱりわからない。

調べていくうちに、考えられないことが。

其れは、その当時で、すでに朝鮮より、来日している数が凄い数字であるようだ。

万葉集は日本の宝。

反論が起きてもだれも受け付けない現状。

しかし、何人かの学者が、すべて万葉集は、朝鮮語で書かれていると発表。

だが、誰一人、はねつけている現状である。

朝鮮語で書いてあると現在研究中の「もう一つの万葉集の著者:李 寧煕」

さんは、さぱり理解できぬ万葉集をハンブル語で、とらえるて、非常に理解

できる和歌にしてくれた。

しかし、他の多くの学者?先生は 彼女の本を「悪書」と決めつけている。

難しいことは、学者にまかせましょう。

 

万葉集は、7世紀後半から8世紀後半(629年)頃にかけて約130年間の選集である。

日本に現存する最古の歌集である。

巻によって編者が異なるが、大伴家持の手によって二十巻にまとめられた?。

歌体は、短歌・長歌・旋頭歌の三種に区別されている。

短い句は五音節、長い句は七音節からなる。

短歌は、五七五七七の五句からなるもの。

長歌は、十数句から二十数句までのものが普通である。

長歌の後に、別に、一首か数首添える短歌は反歌と呼ばれている。

旋頭歌(せどうか)は、短長の一回の組み合わせに長一句を添えた形を片歌といい、

この片歌の形式を二回繰り返した形である。頭三句を尾三句の次に置くことも出来るところから

旋頭歌(せどうか)とついたといわれる。五七七五七七 、歌体のリズムにうまく乗せる。

 

交通標語はほとんどが五七五のリズム

和歌はいわゆる定型形詩で、名詞や動詞(歌句)を区切ることに特徴。

クローバー土手和歌の一句は五音節か、七音節で構成するという原則がある。

この五音節と七音節の句を組み合わせて和歌を作る。

5・7・5・7・7という区切りで作られた和歌は、短歌と呼ばれる。

 

竹取説話

巻十六「由縁ある雑歌」竹取物語(かぐや姫物語)との関連とも言われる。

浦島太郎の原型

巻九  長歌に浦島太郎の原型というべき内容が歌われている。

 

朝鮮語で歌われているという節もある。「もう一つの万葉集:李 寧煕 著」

 

 

天皇、貴族から名もない防人、遊女ら様々な身分の人間が詠んだ歌

作者不明の歌は畿内の下級官人や庶民の歌と見られる。

 

巻・歌番号  →  巻14(14冊目)・3483(3483番目)

中国の史書に見える、『倭の五王』と呼ばれる讃、珍、済、興、武の最後の王が雄

略天皇のこと

 

大泊瀬稚武大王であろうと言われています。

倭の五王(わのごおう)の一人、雄略天皇の歌で始まっている。

奈良時代の人々においても雄略天皇が特別な天皇として意識されている。

大泊瀬稚武(オオハツセワカタケル)天皇と申し、万葉集204516中の

開巻

 

一巻第1首目を次の如く読まれた。

 

大泊瀬稚武(おほはつせわかたける)天皇の御製歌(おほみうた)

 

籠(こも)よ み籠(こ)持ち

掘串(ふくし)もよ 

み掘串(ぶくし)持ち 

この岳(をか)に 

菜摘(なつ)ます児(こ) 

家聞かな 告(の)らさね 

 

 


そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(を)れ 

しきなべて われこそ座(ま)せ われにこそは 告(の)らめ 家をも名をも

(巻11番)

篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名

告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座

我許背齒 告目 家呼毛名雄母                      野セリ→

 

同じ万葉仮名でも、本によっては、いい加減に、漢字を当てている

たとへば

篭→籠  與→与  

 

 こもよ みこ持ち ふぐしもよ みふぐし持ち この岳に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね。

そらみつ 大和の国は おしなべて あれこそをれ しきなべて 

あれこそませ あをこそ、背とは告らめ 家をも名をも   

        

という歌で、春先、宮廷付近の丘で若菜を摘んでいた娘に結婚を申し込まれたのである。 

昔は、女の子の名は母しか知らなかった。

それゆえ、名を明かすことは求婚に応じることを意味した。 

 

何となく理解できるようだが、今一である。

こもよ みこ持ち ふぐしもよ みふぐし持ち??????????現在の移植ベラ・小さなへら

篭・籠???? これが、現代のザルやカゴになるのだろうか?

「そらみつ(大和の国)

 

若菜を摘む行事は、今も正月7日の七草粥に伝わっている。

 

これを、ハンブル語に読むと非常にわかりやすいし意味がまるで、違ってくる。

李 寧煕 さんは、この様に日本語にしてある。

 

籠も 良い籠を持ち ふくしも 良いふくしを持ち

この岡で 菜を摘みの娘さんよ 家を聞きたい 名乗っておくれ

<そらみつ>この大和は ことごとく わたしがすべている國だ

すみずみまで わたしが治めている國だ

わたしこそ名を告げよう 家も名前も

 

虚見津<そらみつ>?????

これは大和にかかる枕詞とされている。従来の解説には、意味・かかり方がわからないと、殆どの先生が言う。

虚は斯廬(サロ)又は徐羅(ソラ)で、新羅(シラギ)の古名。

斯廬(サロ)・大和の國という意味。

古代日本では、貊(コマ)は、高句麗人 韓国人を指す総称

復旧(ポック)は、占領し服属させた領土をいう

これを日本語では、「ふく」「とま」「たもる」という

その名残が、福島・福岡の地名。

布久思毛與 フクシモヨ →復旧(ポック)島よとなる

 

 

真の意味 

貊(コマ)よ 瑞穂の貊たちよ

復旧(ポック)よ 瑞穂の復旧の者たちよ

この丘に 私は(先代と)並び立ち

ここに家を作り 告げて住もうと思う

サロミツ 大和の国は

押さえおきて 統治者は私一人である

鎮めねかして 私は自ら位に就く

私は急ぎ来て 告げる

ここに来る 出て来ると

 

 

歌人 額田王・柿本人麻呂・山上憶良・大伴旅人・大伴家持など

「万葉集」中、地名の出てくる数は、題詞、本文、左注、注を加えて延べて約2950。

 

万葉集 最北端の地

 

 

宮城県の多賀城国府では大伴家持が赴任していて、ここで亡くなったが、多賀城には歌は一首もない。

宮城県遠田郡涌谷町黄金迫の黄金神社のところに、産金地として聞こえたみちのく山がある。

宮城県が1首万葉の最北のはてである。

 

天宝元年(701年)陸奥ノ國より黄金が朝廷に貢物として献上。

当地方の蝦夷族は、中央政府に従僕さを表していた。

天平21年(749年)黄金大量に出土、朝廷は大喜び 早速、大野君東人に「征夷大将軍陸奥の守」の称号を賜った。

金山を守るために軍兵5千人を以て山々を護衛、都子人は、陸奥の国の話で明け暮れたという。

黄金の産出地のある箟岳山(ノノタケサン)一帯は小田郡と登録されている。

先に、朝鮮の百済国(クダラコク)が滅亡の折の国王「敬福」が日本朝廷の保護を受け帰化する。

敬福は数百人の帰化人仲間を連れて涌谷の地に大部落を作り採金作業に従事させ、黄金を都に運ばせた。

朝廷は、黄金発見者とその関係者に高位みら叙位叙勲を与えた。

 

黄金山神社  黄金山(134m 宮城県涌谷町

 

涌谷黄金山1)

 

今から約1250年前、天災や疫病、政変によって不安がつのっていた人々の心を

鎮めるため、時の聖武天皇は東大寺に大仏を建立した。

その際、陸奥から献上された砂金のおかげで仏像に塗る金の不足を補えたことを

天皇がおおいに喜び、わざわざ年号を天平感宝と改め、金の産地に建つ小さな社を

国家の神社である延喜式内社に列した。

その様子を詠んだ歌は境内にある万葉歌碑に見ることができる。

ここは、万葉集に収められた歌の最北の地だという。

 

  「この山から産出した金で大仏は金色に輝いた」
 

宮城県には金華山という山もあり、黄金山神社がある。

この山はズバリ黄金山である。 

 

黄金900(13kg)を朝廷に献上した。

当時聖武天皇は大仏建立の詔を発していた。

この黄金で鍍金して大仏は金色に輝くことになった。
 

万葉歌人・大伴家持は産金の吉報を聞き「万葉集」巻十八に

「陸奥国より金を出せる詔書を賀ぐ歌」を残している。               NHK「蝉しぐれ」山形庄内地方 羽黒山 セット

 

  皇祖(すめろぎ)の御代栄えむと、(あづま)なる陸奥山に、黄金花咲く 

     

「すめろぎの みよさかえむと あずまなる みちのくやまに くがねはなさく」

大伴家持


砂金採取の沢に守護神を祀る六角堂がある。

遺跡調査で建物跡の礎石、天平瓦、宝珠などが発掘された。(昭和42年国史跡)
 黄金山神社はその六角堂の跡に建てられた。

荒廃していたが、江戸時代末悪疫退散を祈願して地元民により再建されたという。

神社背後にご神木の3本杉(町天)がある。
  黄金山神社の菊の御紋

蝦夷や倭国人は黄金の価値を知らなかった。

黄金より鉄や銅、さらに米の増産が急務であるとき、黄金はそれより価値があると知った。
 

定かではないが、下記の万葉集も宮城ではないかと一部の学者が言う

 

笠島(かさしま) 名取市愛島(めでしま)笠島。藤原実方死没の地という伝説がある。

 

草陰の荒藺(あらゐ)の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ(「万葉集」)

 

 

宮城のとなり、このHP管理人たけちゃんマンの実家・福島には、

真野の萱原(かやはら) 相馬郡鹿島町真野に、一首ある。

 

 

陸奥の真野の萱原遠けども面影にして見ゆといふものを(笠女郎「万葉集」)

 

福島県 が10首・内3首が安達太良山・

 

石巻市の真野・萱原地区は、古くから萱や葦や荻の生育地で、「おくのほそ道」に書かれた

「まのゝ萱はら」はこの萱原地区とされている。

当地の長谷寺(ちょうこくじ)参道入口に、「真野萱原伝説地」の文字と、藤原定家の

「露わけむ秋の朝気は遠からで都は幾日まのの葦原」の歌を記す木製の標柱が建てられている。

長谷寺は山号を舎那山とする曹洞宗の寺院で、創建は奥州藤原三代秀衡とされ、

山号は、源義経が頼朝の平家追討の旗揚げの際、郎党とともに武運を祈願したことから、

義経の元服前の遮那王にちなみ舎那山としたとも言われる。

 

 

交通標語はほとんどが五七五のリズム

和歌はいわゆる定型形詩で、名詞や動詞(歌句)を区切ることに特徴。

和歌の一句は五音節か、七音節で構成するという原則がある。

この五音節と七音節の句を組み合わせて和歌を作る。

5・7・5・7・7という区切りで作られた和歌は、短歌と呼ばれる。

 

水無月(みなづき)、十月を神無月(かんなづき)

「みなづき」の「な」は「無」ではなく「な」は現代日本語の「の」と同じ、

「水な月」は「水の月」、「神な月」とは「神の月」となる。

 

 

最後は、大伴家持の

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)吉事(よごと)の歌まで

130年間で幕を閉じる。(759年)

 

西暦 0313年  ローマ帝国 キリストを公認

西暦 0391年  古墳 大和時代

          倭(ワ・イ・ヤマト)・朝鮮に出兵し百済・新羅を破る

          多くの渡来人

          仏教伝来 (538年ごろ)

西暦 0752年  奈良時代

          東大寺大仏完成

          正倉院

西暦 0780年  東北で蝦夷の大反乱

西暦 0794年  都を平安京に移す

          万葉集

西暦 0801年  平安時代

坂上田村麻呂          枕草紙

蝦夷を討伐(トウバツ)する   源氏物語

西暦 1051年  源 頼義 

陸奥(ミチノク)にむかう    平等院 鳳凰堂 

     62年まで                

大鏡

                          今昔物語 

西暦 1087年  源 義家 東北の乱をしずめる

 

 

 

年号によっては、昔のことで、学者によっては、まちまちであった。

 

 

 

 

 

参考資料

 

万葉集 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE

歴史トピックス・ 万葉集の発耀の地より

  http://www.city.sakurai.nara.jp/rekishi/rekishi01.html

高杉親知の日本語内省記・「リズムを感じろ」

  http://www.sf.airnet.ne.jp/ts/language/index.html

風・歌のかたち

  http://www.pref.nara.jp/silk/kaze/15-20/kaze19/index.html

もう一つの万葉集  (出典:李 寧  文芸春秋)

万葉集が面白いくらいわかる本 荒木 清  中経出版

万葉の旅   犬養  孝    社会思想社 MARSHALL大ファン

犬養孝1998103日午後145分,没。

黄金山神社     http://www.koganeyama.jp/index.html

伝説探訪

http://www001.upp.so-net.ne.jp/densetutanbo/tamuramaro/wakukogane.htm

るるぶ.com  http://www.rurubu.com/sight/sightdetail.asp?BookID=B0701120

みちのく合戦物語  奥州千年戦記  自費出版 樫山 巌  創栄出版

松尾 芭蕉の陸奥の足跡  http://www.bashouan.com/psBashou.htm

万葉の花  中西 進 著  カラーブックス 保育社

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