畦畔     (けいはん)

畦とは 田と田を区切る小高い境

田の境・下萌え・畦青む・萌え出る・野焼き・すき起こし 耕春・毀つ(こぼつ)・うね・ほとり

畦塗り・くろ塗り・耕す 

日本書紀 

「春すなわち重播(しげまき)し、すなわちその畦を毀つ(こぼつ)」  

コボツは崩す(壊す)こと

畦(畔)と書いてくろと読む

 

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畔に植えた豆をくろまめと呼ぶ  

畔 (ほとり)と読む

 畦筵(あぜむしろ)ミゾカクシ(溝隠)  キキョウ科 別名:アゼムシロ(畦筵)

花期:夏〜秋  田の畦などに生える小さな一年草

 

 

 

 

 

 


畦畔とは
 
                                             畦畔(けいはん)とは田畑の端にあって、通行、施肥、保水など、

田畑本来の用途である耕作以外の用途に供せられる細長い土地部分のことで、

「あぜ」、「青地」、「くろ」などとも呼ばれており、高低差のある農地間の傾斜地とか、

水路、農道の「のりしろ」も畦畔と呼ばれることがある。

春一番 農作業は、野比  野焼き

この畔の枯れ草を 火を付けて焼くことからスタート。

 

 

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明治時代の地租改正時の測量で、この畦畔が本地の面積に含まれている場合、

それを「内畦畔」と呼び、含まれていない場合は「外畦畔」と呼ばれた。

冬の雪解けに、芹を摘むのが何よりの春の味

食卓に変化づけてくれた。

又、この畔と畔の間の水路から、秋口から春まで、                                       カラス貝やドジョウを捕ることも、子供の楽しみ。

 

(あぜ)は、稲作農                                                                                                         業において、水田と水田の境に水田の中の

を盛って、水が外に漏れないようにしたものである。

泥畦とも言われ、稲作の工程には水を張る前に毎年修理を行う

「畦作り」または「畦塗り」があり、近年「畦塗り機」トラクターに装着して

使用する畦塗機なるものがある。

人の手による鍬での作業ということは少なくなったようである。

水田を回る際のとしての役割も持っているものも畦道(あぜみち)だ。

田植え時は、稲の苗を大人が田植えして、腰にぶら下げたカゴがカラッポになると

子供が、束ねた苗を、目標を付けて、田んぼに投げ込むための大事な畔であった。

畦や畦道は水漏れ防止も行っており、基本的には私有地であり

安易に通るべきでは無いが、幅は狭く一人がやっと通れる幅で、

慣れないと足を踏み外し、畦を壊したり水田に落ちることが有る。

古来から細い狭い面積の土地ではあるが、枝豆などその土地に

合った農作物を植え、僅かな収穫でも得ようとしている場合もあり

有効利用されている。一本分の貴重な耕作地ともみなせる。

 

黄色菖蒲1
スカンポ小川
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


畦道の植物

芹 せり                  カッコウ花・黄菖蒲                   スカンポ

 

江戸幕藩時代には畦畔を含めては測量せず、地租改正時もその扱いが踏襲されたが、

その後は畦畔も含めて測量し、地券に畦畔歩数を記載するという扱いに変わり、

その後は地域、測量者によって扱いが異なり、帰一しなかった。

しかし昭和10年の訓令で内畦畔扱いが原則となり、土地台帳などには

「田一反一畝二七歩 内畦畔一八歩」と書かれた。

 

いつも、ためになる情報 感謝して拝読

おけさの畦道・畔畦(ケイハン)という

のですね。大変 奥深いいろいろな意味と拾い見方があるのですね。

ますます、おけさのおかげと嬉しくなりました。

おけさの仲間 女川町浦宿浜字門前 照源寺・息子さんの絡子(ラクス・袈裟)に

「袈裟 神力 不思議・・・・・・」と点浄されていました。

これですね   合掌

袈裟教室 鹿落観音堂 宗重

20年5月29日

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http://blog.goo.ne.jp/furusatonokaze/

ふるさとのかぜ もぐらさんのブログより 08.6.29

さて、さて今日もまた天草地方は雨です。
今年の梅雨はこれぞつゆ〜と言う感じの本格的な梅雨です。
雨もまた良し などと悠長な事を言っていましたが もうそろそろ おてんとさまが恋しくなってきました
うちの近くの棚田も 二回ほど土手が崩れて 溝の土をどかすのに往生しました。 
もともと棚田は山の奥の谷間に石垣を組んで田んぼにしているところがほとんどですので、
ちょっとした雨が続くと水を含んだ土手が崩れてしまいます。
手入れをしている田んぼの場合はそうでもないのですが、
耕作するのをやめて草の生えるに任せている所は真っ先に水の流れが思うように行かず崩れてしまいます。
米つくりを一年休むだけであっという間に草の原になり、畦は崩れて人間が手を入れる前の自然の山の姿に帰ろうとします。
自然の力はすごいものがあります。
先人たちは自然の力を押さえつけるのではなく、うまい具合に工夫しながら
時には脅威の力を見せ付ける自然と折り合いをつけながら暮らしてきたことがしみじみと思われます。
「人類が消えた世界」と言う本を書いた人がいましたが、(まだ読んでいません)
この地球上から人類が消えてしまうとするならば、ただ自然の力でもとの地球に戻ろうとするだけの事でしょう。
人間の力なんてちっぽけなものです。
いろんな知恵がありながらも、実際にやっていることは太古の昔からほとんど進化しているのかわからないようなことばかりです。同じ過ちを繰り返しているだけのような気がします。
自然の力に対する畏怖、畏敬の念を忘れてしまった時に痛いしっぺ返しを食らうような気がしてなりません。

 

 

 

http://aajyan.at.webry.info/200804/article_13.html

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/azemusiro.html

http://www10.ocn.ne.jp/~sugiyama/aze.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/ç¦

 

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