永平寺と袈裟と掛け物  NO1

雲水とは

行雲流水を略した言葉

空を行く雲のように

川を流れる水のように

天下のいたるところを

住処として行脚する

修行僧のことである

 

食う寝る坐る永平寺修行記(新潮社)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


食う寝る坐る永平寺修行記

新潮文庫 野々村 馨

1959(昭和34)年、神奈川県生れ。在学中から中国、チベットなどアジア各国

を旅した。 卒業後、デザイン事務所に勤務するが、30歳の時、突然出家し、

曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として1年の修行生活をおくる。

その後、再びデザイン事務所に勤務。

禅宗の修行僧を雲水(うんすい)という。

その日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて――。

道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、

そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。

新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。

さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか?

雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。

 

然し、これだけ修行して、なんと、住職という職業?

あまりにも人間修行が足らないのでは無かろうか?

年 何度か墓参りするが、年々 檀家も足を運ぶのが遠のいている。

これは、金がかかりすぎる事と、寺の有りがたっさが、無くなったためであろう。

お盆や彼岸に、お経を上げている住職が、

横目で檀家を数える姿は浅ましい。

娘は横浜本山の学校を卒業・またお経を暗記しているお年寄りは、決まって随分端折っているという。

そうだ、簡単に短く切りつめてお経を上げているのだ。

本堂建て替えの寄付集めの寺の約束事。

40年前(1960年)で30万の寄付が半分強制的に檀家に来た。

そのときに寺は、院号を付けると云うことであった。

院号とは、戒名の最高のもので、皆 あこがれのもだ。

いざ、その時になったら、院号を付けるが、戒名代はべつとのこと。

普通で、戒名代は、30万から7.80万である。

こんな、状態では檀家離れが多いのは当たり前である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


以下 本より抜粋

 

今まで麻痺していた体中の感覚が一斉によみがえり、自分の体が雨で冷たく

なっていることに気づいた。

背に振り分けた行李は、数え切れない不安と、もうどうでも良くなっていた

希望とで、ひときわ重く肩に食い込む。

体も心も、がたがたと音を立てて震えた。

足取りは、ますます重く、雨は いよいよ冷たく体に食い込む。

そんな冷たい雨に押し潰されそうになりながら、とある茶店の前を通り

かかったときだった。

小さく開いた間口の奥から、急に一人の老婆がおぼつかない足取りで

側に駆け寄り、僕に向かって呼んだ。

「雲水さん頑張って!!ぇ」

その瞬間である。

寒さと緊張とで冷たくこわばっていた頬に、突然熱い涙が流れ落ちた。

どうして涙が出たのか自分で解らない。

しかし、涙は後から後から止めどもなくあふれた。

まるで、此処まで引きずってきた失望や落胆、そして後悔や未練と言った

いろいろな思いが、堰を切ったように涙と共に目からあふれ出るような

気がした。

心の中にもやもやと沈んでいる物が、全て綺麗さっぱりと流れ出るまで、

大声を上げて泣きたかった。

 

僕は今でも、あのとき頬を伝わって流れ落ちた涙の熱さを忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


終わり、そして始まり  より  P19

 

僕は殴られ蹴られして徹底的に叩きのめされるたびに、ちょうど模造真珠の表面が

ボロボロと剥がれ落ちるように気分が楽になった。

今までは、傷つくまい、壊れまいと、模造である上っ面を必死に取りつくろっていた。

しかしそれが、もはや剥がれ落ちるものも剥がれ落ち、取りつくろうものもなくなってしまうと、

そこに剥き出しにされ、残されたものこそが、まぎれもない自分自身だったのだ。

袈裟けさ)は、仏教の僧侶が身につける布状の衣装のこと。

梵語で「混濁色」を意味するカシャーヤKasaya)を音訳したもの。

糞掃衣ふんぞうえ)、福田衣ふくでんえ)ともいう。

糞は糞尿、掃は掃き捨てる、欲も執着もない、世間一般の人が好まないいらなく

なった布きれをつなげて作るのが本来のお袈裟。

その意味も勉強せず単なる衣装として着用している僧侶がいることは嘆かわしいこと。

起源は、インドの仏教僧侶が身にまとっていた布

仏教では本来、出家僧侶は財産になるような私有物を持つことを禁じられており、衣服も例外ではなかった。

そのため、価値使い道が無くなり捨てられたぼろ布、汚物を拭う(=糞掃)くらいしか用の無くなった

端布を拾い集め綴り合せて身を覆う布を作った。

布は在家者(白い布をまとっていた)と区別するために草木や金属の錆を使っ染め直され、

黄土色や青黒色をしていた。梵語の名前はこの色に由来する

作業着にあたる安陀会あんだえ)、普段着にあたる鬱多羅僧うったらそう

儀式・訪問着にあたる僧伽梨そうぎゃり)の三枚がある

これに食事や托鉢に使う持鉢をあわせて、三衣一鉢さんねいっぱつ)と呼び

僧侶の必需品とされた。

諸仏の大法として,糞掃(ふんぞう・はきだめに捨てられた布)を上品清浄

(じょうぼんしょうじょう)の衣財とせるなり.しばらく十種の糞掃をつらぬるに,

絹類あり,布類あり,余帛(よはく・その他の絹織物)の類もあり.

袈裟をつくる衣財,かならず清浄(しょうじょう)なるをもちゐる.

また十種の糞掃衣を清浄なりとす.

いはゆる十種糞掃衣

一者  牛嚼衣(ごしゃくえ)  --- 牛が噛んで傷になった布で作ったもの
二者  鼠噛衣(そごうえ)   --- ネズミがかじって傷になった布
三者  火焼衣(かしょうえ)  --- 火に焼けて傷になった布
四者  月水衣(がっすいえ)  --- 婦人の月のものでよごれて捨てられた布
五者  産婦衣(さんぷえ)   --- お産で使われた布
六者  神廟衣(じんみょうえ) ---  神をまつる廟で,鳥がくわえていったり,

風に吹き散らされた布
七者  塚間衣(ちょけんえ)  --- 墓場に捨てられた死者の着物
八者  求願衣(ぐがんえ)   ---  願掛けに使われた衣類
九者  王職衣(おうしきえ)  ---  朝廷の職階が変わり不要になった着物 
十者  往還衣(おうげんえ)  --- 死者に着せて墓場まで行き,帰途,路上に

捨てた着物 この十種を,ことに清浄の衣財とせるなり.世俗には抛捨(ほうしゃ)す,

仏道にはもちゐる.世間と仏道と,その家業(かごう・流儀)はかりしるべし.

しかあればすなはち,清浄をもとめんときは,この十種をもとむべし.これをえて,浄を

しり,不浄を辧肯(はんけん・会得)すべし.心をしり,身を辧肯すべし.たとひ絹類なり

とも,たとひ布類なりとも,その浄不浄を商量すべきなり.

この糞掃衣をもちゐることは,いたづらに弊衣(へいい)にやつれたらんがためと

学するは至愚なるべし.荘厳(しょうごん)奇麗ならんがために,仏道に用著(ようぢゃ)

しきたれるところなり.仏道にやつれたる衣服(えぶく)とならはんことは,錦繍綾羅

(きんしゅうりょうら・高級な絹織物),金銀珍珠(こんごんちんじゅ)等の衣服の,

不浄よりきたれるを,やつれたるとはいふなり.

袈裟は是れ釈迦牟尼仏皮肉骨髄なり」

お袈裟は自分で縫う、受衣式をして身に付ける。

 

お袈裟は福田衣と言う。福田は作物の沢山とれる水田。

お釈迦さまは小高い丘の上から田、水路、あぜ道でできた広大な水田の風景を

ご覧になり、「田はそこから命のお米が生まれ幸福をもたらす」「修行者は自分

の心の田を耕し、福徳が授かるように精進しなければならない」と言われ、

布を縫い合わせて、水田のような形のお袈裟を身に付けるようになった。

これがお袈裟の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


住所 新潟県胎内市西栄町2−8
TEL 0254-43-2419 FAX 0254-43-4560

湖彦山広厳寺 こげんざんこうごんじ。宗派 曹洞宗

http://freesia7.blog10.fc2.com/blog-entry-172.html  幼児教育を語るひろば

(小倉玄照著『永平寺の聯と額』誠信書房刊)

http://www.daihorin-kaku.com/buddhism/howa/howa-D11-2007.html

http://kogonji.exblog.jp/m2006-05-01/#4827010 より

 

 

 

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