十部一(じゅうぶいち)(とうげ)  から                 肘折り(ひじおり)温泉   06.10.21

山形県最上郡大蔵村と寒河江市の間にある峠。標高870m

大蔵村の地図寒河江 サガエ 国道458号線より 肘折り温泉

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                      【十分一銀】補足説明下部に在り

 

 

 

 

 

驚くべきことに、あらかた砂利道・舗装していない国道では珍しい未舗装区間。

1車線の国道が山形山中にあり。寒河江〜大蔵間を山を越えてムリヤリ結んだ35キロの国道458号線。

肘折り温泉は開湯1200周年を迎えるという。その長い歴史は日本屈指で、

この温泉場は日本名湯百選に常に名を連ねている。

国道と言っても車両が、すれ違うことが難しい でこぼこ路 車の量もまばら 頂上からの見晴らしが素晴らしく

はるかに、月山が望める。 こんな秋口と言うのに、いまだ たくさんの、残雪が光って見える。

 

大蔵村と寒河江市の境界をなす十部一峠とその前後の20キロメートルほどは、現在の冬期は通行止め。

しばしば土砂崩れなどで通行止めになる。

中腹あたりで、紅葉が始まり、しばし車を止めて眺める。

キノコ取りの車両が目に付くが、熊が怖くて、山にはいるのには勇気がいる。

1番目に付くのは、このブナ群生郡であろうか。

DSCN7024すべての、雑音を飲み込んで 木の葉が舞い散りながらぶつかり合う音

風の音のみが耳に入る。

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ブナの生きる生命力 でかい根本      でかい根本から又のびる10pほどの細根

見渡す限り、ブナ・ブナ 二次林(実生から育ち次の時代へブナ林の予備軍)

 

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橅  ブナ

樹の名前に当てられた文字の中で、 何とも失礼な字にされたのがブナです。

いかにも無用な木という印象を与えます。

たしかにブナは腐りやすく狂いも大きい。

そのため普通はリンゴ箱か燃料としてしか利用されていませんでした。

しかし最近では、海を育む森として、

その真価がようやく認められてきたようです。

そこで、「無用な木」ではなく

「無限の木」という意味だという人もいます。

また、「すぐれた木」という意味で

「擾」→(木ヘン)  と書こうという人もいます

なるほどと思ったのは

ブナには「材」としての価値を求めるものではなく、

「木と土と森の恵み」を得るものなので「木では無い」と言う説。

たしかにブナの森は豊かな山です。

ドイツではブナのことを「森の土の母」というそうです。

 

文字の風景   野呂 希一・荒井 和生  SEISEISHA 写真で見る文字の成り立ちより

 

 

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ブナ肌                          夏のブナの木漏れ日と根元

 

ブナのみ
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地面はフワフワ ブナの実がぎっしり    ブナ、実生 大きく成長するのは      夏のブナの実

この中から1本

 

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十部一峠を含む大蔵村肘折り温泉-寒河江市幸生(さちゅう)間は28km弱の区間に民家が存在せず、

実際に車道として開通している国道では、日本で唯一の未舗装区間が残る国道である。

一年の半分以上は積雪により通行止、大型車の通行が出来ない。

十部一峠から林道を下った場所に、かつて、銅の産出・永松鉱山がある、その産出の輸送のための道路。

峠名は、番所があり、通行料が「十分一役銀」を徴収していたことに由来する。

 

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肘折り温泉

 

山岳信仰で栄えてきた霊湯 斎藤茂吉もファンであった。

肘折温泉は 豊後国出身の源翁という修験者が山中で道に迷ったときに

老僧が現れ、崖から落ち肘を折って苦しんでいた際に治療した温泉を教えられるという開湯伝説が残る。

世間に、この湯の効能を伝えるべく翁に言い渡たされた。翁は老僧の住んでいた洞窟を「地蔵倉」と

呼び聖地とし、また「肘を折った」という由来から肘折温泉の名前をつけた。

肘折温泉郷として黄金温泉、石抱温泉とともに国民保養温泉地に指定さる。

自炊部を持つ旅館が多い。木造建築の古い旅館や住宅が多く、鄙びた湯治場の雰囲気を形成している。

 

月山への登山道を作って、肘折温泉が「八方七口」の正式な登山口のひとつ、

修験者や参詣者が訪れるようになった。

山頂まで8〜10時間もかかったので、肘折温泉には宿坊ができ、

それでも足りないときは農家や小屋にまで泊まる様になった。

江戸時代は山岳信仰が盛んで、それに伴って肘折温泉も大いに繁栄を見せた。

江戸時代の肘折温泉は、仏教または山岳信仰との関わりが深かった。

5時から、湯治客向けの朝市が行われている。共同浴場は3軒存在する。

 

 

地蔵倉  [鍾乳洞・洞窟] 老僧が住んでいた洞窟は“地蔵倉”と呼ばれる,縁結び・

商売繁盛 肘折温泉の東の断崖にある洞窟。岩の小さな穴にこよりを通して結びお願いごとをする、

縁結びの神として知られる。

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数度にわたる爆発を繰りかえした肘折火山のカルデラの部分に当たり、周囲は比較的岩肌の多い山々で、独特の景観

泉質は塩化物泉、炭酸水素塩泉で、きりきず、慢性皮膚病、神経痛、慢性消化器病、冷え症などに効能があり。

また、もう一つ炭酸泉もあり、飲泉すれば内臓の働きを活発にするほか利尿作用もある。

泉質 ·  ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉 炭酸泉のカルデラ温泉

環境庁指定の全国有数の国民保健温泉地で、温泉の効力は高く、東北では古くから名の知れた湯治場となっている。

最後の道のり温泉には入る間際の噴火で出来た噴火口が今は、右のように、肘折り温泉になっている

左は、温泉の南側

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◆炭酸泉とは

一般的に炭酸水はラムネやソーダなどの清涼飲料水など日常生活によく使われています。

炭酸泉は、引用すれば胃腸粘膜の働きを良くするほか利尿作用もあります。

また温湯は、炭酸ガスが無数の細かい泡となり、心臓に負担をかけずに血行を良くします。

 

◆炭酸泉の効能・効果

●血圧を下げ、血行をよくする効果 ●糖尿病 ●動脈硬化 ●冷え性 ●皮膚の炎症を抑える(美肌にも効果あり)

●関節リウマチ、座骨神経痛 ●その他運動障害を伴う病気

<炭酸泉を飲むことにより、下記のような効果>

胃酸を中和し、肝汁分泌も促すので胃腸や肝臓、すい蔵の働きを活発にする。

神経や筋肉の興奮を静めり、神経の緊張を改善する作用がある。

 

「四ヶ村の棚田」しかむらのたなだ

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日本の棚田百選にも選ばれた「四ヶ村の棚田」、

神秘的な渓谷美を見せる

 

作神宿る「葉山」の麓「四ヶ村」には、

後世に残したい「日本の原風景」とも

言えるたたずまい。

四季折々に見せるその風景に、心和む。

「四ヶ村」とは「豊牧とよまき」

「滝の沢」「沼の台」「平林ひらばやし」の

四集落を総称する呼び名。

その歴史は古く、鎌倉時代初期(1204年)の起源

(四ヶ村郷土史)。

現在は、ボランテアで、この棚田を守り、夏と冬に一面にろうそくを灯し 蛍火として、観光客をいやしてくれる。

田んぼには 水が不可欠 一番上から下に、順番に水を満たして行くのだが、高齢化が進み、歯抜けの状態になって

下まで、水を送るのが難しい、全国の棚田である。

其れを、地域のものが中心で、ボランテアで、田んぼを守る精神は見上げたものである。

一年を通じて、心をいやしてくれる棚田を、守って、観光客を楽しませてほしいものだ。

出来れば、温泉がでなくとも、暖かいその様なボランテア精神の持ち主達と 語り合う場所

民宿がほしい  料理は、山の中で、刺身や魚なんかいらない

地域の家庭料理で充分

うまい、麦飯に、とろろにキノコのみそ汁 自家製お新香で十分である。

 

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真冬の雪の中の景色(06.2.5)

紅葉が見頃の10月中の同場所

【十分一銀】じゅうぶいち‐ぎん

寒河江市と大蔵村の境に十部一峠がある。この十部一は十分一からきており、峠に番所を置き、十分一役銀を徴収したことに由来するらしい。

十分一は鉱山に関連した地名で、南の寒河江市側には幸生銅山、北の大蔵村側には

永松銅山が峠を挟むように栄えていた。

幸生銅山は天和二年(1682年)に開かれ、泉屋(のちの住友)が経営した。

永松銅山は1617年ごろの発見という。

明治になると幸生、永松両銅山に古河鉱業の資本が入った。

明治の幸生銅山では永岡鶴蔵を中心とするストライキなどがあった。

また幸生銅山は永松銅山の支山となった。

永松銅山は大蔵村に属したが、冬期は大蔵村との交通手段は無くなり、

道が整備された寒河江の幸生との関係が強かった。

山形県の重要な鉱山として栄えたが、昭和三十六年に休山となり、そのまま閉山された。

 

江戸時代、結婚就職借金などの世話をした際に受け取る手数料。ふつう、持参金・給料・借金などの10分の1。じゅうぶいち。
江戸時代、領主領内交通要所商人から徴収した税金通過する商品の価格の10分の1通例。じゅうぶいち。ぶいち。

 

 

 

 

 

 

 

 

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